信仰の原点

人は自分の中で大切にしている場所というものがあります。その場所を守り続けることは、その人の心の故郷を守り続けることでもあります。私にも幼いころから大切にしている場所があります。その場所は、何か人生で大切な節目や自分が祈るような思いで心情を丸ごと開いて安心しているところでもあります。

その場所を守り続けるのは、守ろうとしているのではなく守られているからこそ守りたいと思うようになるのです。つまり人は皆、見守ってもらっていると実感するからこそ見守りたいと思うようになるのです。その人にとっての大切な場所は心の安心基地でもあるということです。

例えば、信仰というものもこれに似ています。

何か偉大な存在によって自分が守られていることを信じているからこそ、自分もその偉大な存在を信じ守ろうとします。信じるものは救われるという言葉もありましたが、救われると信じているからそうなるということでしょう。

信仰を守るというのは、いつもその関係を磨き続けるということです。それがお互いの関係を研ぎ澄まさせ、偉大な信じる力を引き出しあっていくことができるのです。

そう思うと、私たちはずっと今まで大切なものに守られてここまで来ました。今の私たちが存在しているということは先祖たちがずっと見守ってくださっていたからあるのは自明の理です。

自分がその先祖たちに見守られていると実感するとき、その先祖を見守りたいと思うようになります。こうやってお互いに見守りあうことによって私たちは今をよりよく生き切ることができるようになるのです。

他にも故郷の山や川、海などの自然、食べることができること、などもすべて私たちに与えてくださっているものです。それを実感するとき、有難いことに気づきそれを大切にしたいと思うようになるのです。そこから、それを守りたいと思うようになるのです。

この時代、守りたいと思っていたことが失われていくのを感じます。人間の目先の欲望によって、大切な場所もどんどん壊れていきます。これは自分たちがその場所に守られていることを忘れたことを意味します。

忘れたことを思い出すためにも、私たちはもう一度、原点回帰する必要があります。本当は何によって守られているのか、何に守られ続けているのか。この当たり前の問いに立ち返るということでしょう。

子どもたちに守り守られる存在を伝承できるよう、その意味や関係を磨きなおしていきたいと思います。