徳を歓ぶ

私は以前、九州西国三十三箇所を巡ったことがあります。この「九州西国霊場」は、1280年前の和銅6年(713)に宇佐の仁聞菩薩と法蓮上人により開創されたといわれます。これは延べ1100キロの九州西国の巡礼です。

もともと第一番の札所が英彦山の霊泉寺だったこともあり、33歳の時に巡ることにしました。この霊泉寺は江戸時代中期には800の坊舎と、山伏ら僧衆3000を擁したといわれ盛んに「彦山まいり」をしたといわれます。明治の山伏禁止令で荒廃したのち、英彦山修験道の法灯を再興するために巡礼を企画されたとお聞きしています。

思い返せば、今になって英彦山にご縁が深くなっていますが名前をこの先代の住職につけていただいてから何度も英彦山の麓で遊び、学び、年数を経てご縁を段々と深くしていき今に至っていることを感じます。

まさか自分がなぜと思っていましたが、他に誰もいなことを実感するとやはり自分だったなとも思います。

徳は、自分が積ませてもらえることを謙虚に感謝していく中で磨かれていきます。つい今の時代、やることばかりでスピード社会ですから仕事のように休暇を取りたいという気持ちもつい増えていきますが本来はメリハリであり、どちらも感謝と幸福を実感できる真に豊かな時間です。

巡礼というのは、札所があります。つまり巡礼者がいて、その巡礼者の参拝 のしるしとして、 札を納め たり受け取 ったりする所のことです。

札所巡りということは、道を歩んでいく中で何度も感謝と幸福を味わえる旅をするということです。これはまさに人生の豊かな歩み方であることに気づきます。今の時代は、あっという間のスピードで味わう時間もないくらいの速度で感謝や幸福を一瞬で楽しみます。余韻もないというのは、歩くスピードも速くなっているからです。

本当は、むかしの人たちが歩んできた速度でじっくりと人生を折り重ねながら心の平安を保ち、先人たちと同じように繋がって結んでいる神々との邂逅を歓んでいくことが祈りの醍醐味なのでしょう。

子どもたちにも、その徳を味わう歓びを伝承していきたいと思います。