遺志を静かに守る

人には運命があって寿命があります。人は今もいるのはそれを太古の時代から繋いできたからであり、そのいのちを紡いできたからです。見事に結びあってうまい具合に絡み合って今に至ります。

人生にはそれぞれにこれらのご縁というものがあり、そのタイミングが絶妙でまるでそれを最初から分かっていたように出会いと別れが訪れます。

これはおかしなことをと言うかもしれませんが、人生は仮定として最初からそうなっていると感じる瞬間があります。時がもしも前や後ろにいくものではなく、そもそもが「ない」ものとして想定したとしたら、あるものはこの「そうなっている」という事実だけです。

それを裏付けるものこそ、この絶妙なご縁が証明するのです。

私はこうなっている理由、周囲がそうなっている理由、それもすべてご縁がつくってきたものです。このご縁は、一期一会であり人が生まれてまた死んでいくように少しずつみんながズレていきます。ズレているはずなのに合致していくから人生はとても不思議なのでしょう。

そしてそれぞれに自分の人生を生き切り、その生き切る人生の中においてご縁があります。ご縁の正体はいのちそのものであり、私たちそのものです。

また人生の中で、ご縁があった方が昨日お亡くなりになりました。大変気魄のある方で、声の強さ、遺志の強さ、眼光の鋭さ、智慧の輝きを感じさせられるような素晴らしい生き様の方でした。

伝統を継いで伝承をするということは、ご縁をいつまでも大切にして自分のお役目を全うしていく生き方です。最期まで諦めず、信じて待っているからこそ新たな道は拓けていきます。

枝垂れ桜と共に、また春が訪れることを厳しい自然の中で待っていたことと思います。遺志が数百年の歴史を超えて今に至るように、それを養分として宇宙の輝きに決して劣ることのない一期一会の華を咲かせてみようと思います。

一期一会のご縁に心から感謝しています。

ご冥福を心からお祈りし、今度は私の出番だと遺志を静かに守ります。