想いの本質

私たちは先人たちの想いを継いで今に存在しています。その想いを継ぐのは、血のつながりもあるかもしれませんがそれ以上に想いで繋がっていくものです。人の一生はあまりにも短く、あっという間に人生が終わってしまいます。

そういう意味では、みんな志半ばで斃れていくのです。だからこそ想いがあるのです。つまりこの想いで人が繋がっていくというのが想いの本質なのです。そしてそれは決して死んでしまったから終わるのではなく、死んでからも続いているものであり生きているから繋がらないのではなく、生きていても繋がり続けるのです。それが道ということでしょう。

人生は誰もが想いを持てば道半ばです。

私の今の取り組みも、多くの方々の想いが繋がって実になっているものです。そしてこの先もずっと同じようにあらゆる人たちの想いが集まってさらなる成果を結んでいきます。

そのご縁のつながりこそ、決して金銭では交換できないかけがえのない豊かさであり私たちの仕合せの本体ということでしょう。

もしもこの世に金銭がなくなったとして、何がもっとも大切だと感じるか。それは私は「ご縁」であると、そしてそのご縁を結ぶつながりの「想い」であると私は思います。

人は想いとご縁で結ばれているものであり、これが仕合せを積み重ねて未来を希望にしていくように思うからです。

だからこそどのような想いを日々に醸成していくのか、どのようなご縁を結び活かしていくのか、そして如何に豊かな幸福の場を創造し続けていくか。ここに生成発展の万象繁栄の根本があるように感じています。

想いは形がないものです。しかし想いこそ、いのちの発する偉大なかたちでありご縁こそそれを結ぶいのちの綱です。今でも目を閉じると、志半ばで去っていた人たちの想いが私に宿っているのを感じます。そして耳を傾ければ、この先の未来で私を待っている想いが溢れています。

子どもたちのためにも想いを力に換えて、私の役目を全うし道を切り拓いていきたいと思います。