人類のアップデート

先日、宗像国際環境会議で「暮らしフルネス」の話をしてきました。この暮らしは、決して現代の便利な生活をさらに便利にしようとするものではありません。むしろ多少の不便さを快適に味わいながら、本質的な発展をしていこうとするものでもあります。

例えば、資源がなくなっていくことがわかっていて資源を貪りつくせば遂には砂漠のような国土になって人も生き物も住めないようなところに変わり果ててしまいます。それが分かっていてもやめられないとするのは豊かなことではありません。むしろ貧しさの極致です。

豊かさというものは、そもそも持続可能なものであり消失せずに循環をし続けるものです。

先ほどの資源の話であれば、その資源はそもそも人間だけ、自分だけのものではありません。みんなで借りて使っているものです。それは自分の身体もまた同様です。そういう借りているものだから、前よりも善いものにして返していこうとするのが循環であり豊かなことです。

そう考えてみるとむかしの人が目を付けたのはいつまでも長持ちする素材、すぐに再生して繁茂する素材、自然に負荷をかけない素材だったのは安易に想像できます。それは竹であったり、蔓であったり、土や石などです。

本来の人類の進化というものは、単にテクノロジーだけを極めることではありません。真善美といった、人間が持つ神秘的なセンスを磨き上げてその感性で気づいた全人格的な徳を使いそのあとにテクノロジーと調和していくことにあると私は思います。

私が懐かしいものと新しいものを和合していこうとするのもその思想から取り組んでいるものです。

気候変動も待ったなしで環境が激変していくこの世界で真に必要なのは、徳であり、その徳を世界と共有することだと私は感じています。子どもたちのためにも、自分の役割を理解し、実践を全うしていきたいと思います。