修験者

験者という言葉があります。これは修験者の略称で古来験士・修験師ともいわれており、正しくは修法師ともいわれます。秘法を修めており病気平癒、除災得幸等の加持祈祷をなし、功徳利益の霊験(威験)を表す法師のことをいうそうです。

世界大百科事典第二版にはこうあります。

「験者〈げんじゃ〉とも言い,験をあらわす行者や修験者を指す。法華経や密教経典によって加持祈禱を行い,験者声と呼ばれる押しつぶしたような声で,悪霊などを退散させ,治病・除災をした。験者は,諸霊を自由に使役しうる霊力を感得するために,深山幽谷にこもり,山岳を抖擻(とそう)して修行したので,〈山の聖〉とも呼ばれていた。平安時代には,病難・難産は,生霊・死霊・物怪(もののけ)などのしわざと信じられていたので,験者が宮中に招かれて修法を行う機会も多く,その情景が文学作品によく描かれている。」

平安時代には、人々の怨嗟や権力闘争などで恨みをかうことで疫病が流行るなども信じられており陰陽師たちによって加持祈祷が行われていたともいいます。この時代は、急病人がでるのは怨霊、物怪の類と信じられそれを退治する加持祈祷が医療行為そのものでした。

枕草子にも急病人があるので験者を探しやっとのことで加持祈祷ができ治癒した様子なども記されています。他にも宇津保物語には験者による加持祈祷で物怪の調伏させ医師による後、ようやく治療ができたともあるそうです。

現代のような西洋医療で科学療法が当たり前の時代では、ありえないように感じますがこれも伝統的な日本の医療の一つでした。つまり修験者たちというのは、加持祈祷ができ医療技術がありそれによって病気を治癒した人たちであったというのです。

先日、石鎚神社のある宮司さんで修験者の方にお会いした時に今でもこの時代と同様に治療をしている人にお会いしました。多くの方々が、その方に依頼し実際に奇跡的に病気が平癒している話をたくさんお聴きしました。

修験者でも実力がある方はおられ、今でもその不思議な加持祈祷の力添えを使って心身をととのえ平癒させていくのでしょう。

病は気からともいいますが、実際の病気には心と体は常に密接です。科学療法だけでいくら薬を飲ませても、その本人が真摯に向き合って治す気がなかったり、健康であることが分からない状態になっていたりすれば治るものも治りません。

先日、ある有名な精神科医の方にお会いした時も同時といって相手と一体になり、相手の病気を自分に受け容れてそれを自分の身体を使って身代わりになり整えていくという治療が修験者にあったということをお聴きしました。

自他一体の境地で相手を治癒するというのは尋常ではありませんが、山の奥深いところで心身を磨き上げた先達や聖にはそういう不思議な力を持っていた人がいたのかもしれません。

もちろん、数が少ないでしょうから偽物もたくさん増えたでしょう。改めて、日本に古来から医療の歴史や日本人がどのように病気を捉えていたのかもわかり、山伏や修験者たちの役割のようなものも感じます。

現代は、科学的で目に見えるものしか信じなくなりましたが精神的に病む人も増え、コロナなどの伝染病も出て、癌などの病気も次々で発生してきています。そう考えてみたら、かえって時代がこのような加持祈祷を必要としてきたのかもしれません。

改めて、先人たちがどのような智慧で困難や病気を乗り越えてきたのか時間をかけて深めてみたいと思います。