日本には今まで、独自の信仰形態がありました。それが修験道です。この修験道は、はじまりは山信仰からはじまったものですがそれが時代を経て様々な神様が融和して人々のこの世とあの世の境界の聖地としてそこで心を磨き精神を整える場として発展してきました。
神話や古事記、日本書紀の中でも、カミガミが山頂までいき修行を得て霊験を経ている話がたくさんあります。御神体が山そのものというのは、原始から続く私たちの信仰の形態でした。
それを明治に入り、神仏分離令というものを発令しことごとく山そのものが御神体という信仰形態を破壊していきました。その代表が修験道ということになります。この神仏分離令は、言い換えれば神仏習合を禁止するということです。
多神教を一神教に変えなさいという命令でもあります。明治のころは、海外の列強が日本を侵略しようとしてどうしても明治天皇を中心に国家を統一し直す必要があったのかもしれません。しかし今まで日本は、天皇一神教だった時代はなくずっと原始からの信仰形態をもっていた民族でした。
それが時代を経て、仏教を取り入れ、密教も融和し、他にも様々な叡智を山が包容して日本独自の神仏習合のカタチをつくってきたともいえます。そして、その信仰形態は私たちの伝統精神、伝統文化を育みました。
つまりいのちを重んじる自然崇拝です。
山はいのちが生まれてくる場所です。水が湧き、植物や木々が生え、森を形成し、生きものたちを誕生させます。そしてその山を中心に、山の周辺には豊かな暮らしの場が広がっていくのです。
山を守る、山を信仰することは、いのちを守ることであり私たちは自然と共生して里山のような循環型の暮らしを実現して今日まで心穏やかに永続する豊かさを手にしてきました。
現代、その信仰形態は破壊されたままで日本人の精神文化は別のものに入れ替えられてきているようにも感じます。それは身近な自然破壊の現状をみても明らかでしょう。
決して私は何か宗教的に正しいとか正しくないとか、宗派がどうかとかの話をしているのではありません。迷っているとき、大事な局面のときには原点回帰が必要と実感しているのです。
原点回帰すれば、私たちが今まで何を信じて暮らしてきたのかという先人からの初心に気づきなおせます。そしてそれは私たちの血肉になって文化として根付いていますから、その根から栄養を吸い上げられ元氣が湧いてくるのです。生きる力、いのちの源泉からの力を得ることができるように思うのです。
日本という国、いや日本という生き方がこれからの世界には必要です。資源が枯渇していのちが消えていく前に、私たちの役割を果たしていきたいと感じます。子どもたちのためにも、暮らしを甦生させていきたいと思います。