世の中には、長い時間をかけてつくってきた常識という価値観があります。その中に浸っていると次第に本当のことがわからなくなったりするものです。如何に常識に浸らないようにするのかというのが、本質を見極めるためには必要ですがそのためには本当は何かということを考え続けなければなりません。
考えるのが面倒だからと価値観に迎合したら、その常識の一員になってしまいます。もしその常識が、自然界のように普遍的なものであるのなら感じる、近づく、寄り添うだけでもよかったのでしょうが人間界では不自然に常識を構成していきますから自分が不自然になっていることすら気づかなくなります。
一般常識というものは多数派が持っています。少数派というのはいつも非常識です。また社会通念でこうだと教え込まれたものや、そうなってしまっているものに逆らうのもまた非常識です。しかし、歴史をみたら今までの常識が実は間違っていたという出来事がたくさん発生していることも気づきます。それまで信じられていたものが、ある時にガラリと変わってしまうのです。
今では地球は丸いというのは誰もが知っていましたが、かつては平面だと信じられた時代がありました。地動説や天動説なども、何度も宗教裁判がかけられたともいわれます。聖書に書いているものと違うというのは非常識であったという社会通念があったということです。
これは今では教科書やマスコミ、有識者がいったことや最初からそうだったと思い込んでいる多数派がいても同じように常識はつくられ続けています。時代時代で変わっていくような常識を、真実だと信じてみんなで押し付け守らせていくと常識はより強固になります。
しかし時代が変わったのなら、原点回帰しもう一度常識を見直し、本当は何かということをみんなで歴史的な認識をもとに語り合う必要性を感じています。
子どもたちのためにも常識に捉われず、本当の姿、本質は何かを見極め、温故知新と原点回帰を楽しんでいきたいと思います。