甦生の流儀

昨日、無事に宿坊の古材とご縁ができこれから祈り場の甦生に入ります。大変有難いことに、福知山とのご縁からその品に相応しい古材が現れたことに深く感謝しています。

この福知山との出会いは何かと、今振り返ってみるとはじまりは福地権現と彫られた額からだったように思います。宿坊の掃除をしていたら、突然、棚の奥深くから大切に包装されていた箱が出てきました。開けてみると、その中からこの額が出てきたのです。その品格、力強さからみても福地権現が祀られていた寺院で用いられたものなのは間違いありません。すぐに方々に確認しましたが誰にもそれがある理由がわからずにそのままその額をお祀りし供養をしました。

その後は、宿坊の工事を祈願しその額が全体を見守るような位置に額をご鎮座いただき常に線香をたき、念仏祝詞をあげつづけていました。

すると不思議なことに、まず福智町の上野焼きのある陶芸家の方とのご紹介が出て福地権現の中宮にお伺いすることになりました。そしてかつての山伏の修行場とのご縁もありました。陶芸がここで発祥した場所などにもお伺いしました。その時は、あまりそれ以上は関係が出なかったのですがここが福知山で福地権現なのかと参道などを歩き感動しました。

その頃も古材を探していましたが、なかなかその古材と物語がつながらず途方に暮れていて気が付けばもう今週末までに決まらなければ大工工事が進まないギリギリの状態になっていました。万事休すかと思っていた矢先、突然、フェイスブック経由で連絡がありある方から古材を提供したいというご連絡をいただきました。

そこがなんとまた福智町の上野焼の里で、もともと福地権現の傍で代々陶芸をしてきた上野焼宗家十二代目の方だったのです。

このタイミングでまさかの福地権現からの天の手助けと加勢を感じ、深く心が震えました。すぐに連絡をして棟梁と共にお伺いすると、今ちょうど福地権現の額に御鎮座いただいている床の間の板と洗い場に必要な松材の台になりそうな古材があり、それをお布施いただくことになりました。

御蔭様でこの宿坊の甦生の重要な場所の材料と出会い、もっとも重要だった祭壇の甦生がこれから実現することになります。こうやって天に見守られて、宿坊のいのちが甦っていくのは感無量です。

私は古民家甦生をしますが、いつもこれをただの計画通りに直すようなことは決してしません。むしろ計画をほとんど立てずに取り組んでいきます。まるで素人かとプロの方からは馬鹿にされることもあります。しかし、そこには大切な理由があるのです。それはその計画を立てない中に大切な物語にこそにいのちがあるからです。そのものをただのもののように扱わず、最後までいのちのあるものとして丁寧に対話をしながら接していくのです。

例えば、料理でいえばわかりやすいですがレシピ通りにつくってそれをこなしていき美味しくできるかもしれません。見た目もいいし、味も想定内の味付けに調味料なども組み合わせてつくれます。しかし、それを何回もこなしているうちに心を籠めることやいのちを扱っていることを忘れてしまい料理はできてもどこかむなしいものになることがあります。

そうではなく、素材と対話し、素材そのものを観てその素材がどうやったら喜んでくれるのか。そしてその素材を活かすにはどうしたらいいのか。そしてその素材に関わる人たちへの感謝を忘れずに素材そのものの徳を明らかにしながら徳を積んでいくように料理するという真心を籠めいのちを甦生させるという料理があるのです。

頭で考えてやるのではなく、まず心を用い、そこに最後に知識を重ねるというのは私の古民家甦生の流儀でもあるのです。現代では、誤解されることも多く、そして資格があるとかないとかで本質が観えなくなってきています。大切なのは、人生にもものにも物語があることを忘れないことです。それを尊重するとき、はじめてご縁は活かされるからです。

引き続き、この天の応援の御蔭様をおかりしながら最後まで丁寧に甦生していきたいと思います。