種を守る

昨日は、郷里の伝統野菜の堀池高菜の収穫をしてきました。今年は、とても小ぶりですが逞しく健やかに育っているのは触った感じからも伝わってきました。毎年、一年を一緒に過ごす作物があることはとても豊かで仕合せなことです。

作物も種もそれは単なる呼び名であって、本来は一緒にこの世を生きる大切なパートナーです。そのパートナーとの一年一年の思い出や支え合い、その暮らしがあるということは何よりもかけがえのないものです。

お互いに貢献し合うことや、お互いに助け合うことで私たちは存在の絆を結ぶことができます。これは、生きものたちのすべての根底にある願いでありその価値の源泉です。

みんなただ生きているだけですが、その生きているだけで貢献する。物も同じく、すべてその存在理由はお互いの共生や貢献のためにあります。そしてその中でも、特に暮らしで支え合う仲間たちはともに働き、ともにその時代を生きていきます。

今、私の手の中にある種もそして目の前の高菜も同じように時代時代の中で同じ「種」として生き、お互いにいのちを分け合いここまで生きながらえてきました。私がそうであるように、先人たちもこのいのちを大切に守りながらここまで生きながらえてきました。

だからこそ、このずっと一緒に過ごしてきた種を見捨てるわけにはいかず同じようにこの土地で、この土地に生まれた者同士で生き続けていくのです。

私が伝統固定種の種を守るのは、ただ種が失われるからではありません。私がこの種を守りたいと思うのは、この種との「生き方」であり、大切なパートナーとしての仲間や家族との仕合せな暮らしをこの先もずっと子孫へ繋いでいきたいと願うからです。

現在、伝統固定種の種をブロックチェーンのトレーサビリティで守る取り組みを企画していますがこれもまた伝統を守るための革新なのです。

日本の風土の中で、この風土が育て見守るいのちを補助していけるようにこの世代の役割を果たしていきたいと思います。

懐かしい暮らしの工夫

英彦山の宿坊の甦生が大詰めに入ってきています。今回の甦生は冬の厳しい時でしたので、大工さんはじめ職人さんたちにも難工事になりました。英彦山の冬の厳しさを体験できたのは大きなことではありましたが、先人たちはどう過ごしていたのだろうかと色々と想いを馳せました。

冬の山は、生きものの気配もほとんどなくなり食料もあまりありません。山はあまり畑もつくれませんから、きっと様々な保存食などを工夫して生活をしていたように思います。

またこの寒さをどのように凌いできたのかと思うと頭が下がります。

今ではぬくぬくとした生活をしていますが、かつては厳しい環境で寿命も短かったように思います。炭も高級品でしたから火鉢が使えるというのは、大名や武家、商人だけです。農家では、囲炉裏にたくさんの服を着こんでなんとか暖を取っていたのでしょう。

私はたまたま古民家甦生のことで、古い家の暮らしを甦生し、山などにもご縁がありますが都会にいたらほとんど味わうことのない生活です。

しかしここ100年程度の生活が現代の環境ですがそれまではずっと千年以上、このような厳しい自然と共生する生き方をしてきたのです。それが現在の便利で快適な生活の中には懐かしさというものをあまり感じません。

私はこの懐かしさが暮らしに与える影響はとても偉大だと感じています。その理由に、私たちは四季折々、自然と共に暮らしてきましたから自然と上手に一体になることで身体や心、あらゆるものを同時にととのえていくことができるからです。

たださすがに今のような便利な生活に慣れていていきなりすべてむかしの生活に戻すのは難しいことでしょう。

だからこそ、上手に取り入れることだと思います。それは、心の豊かさであったり、自然への畏敬であったり、工夫は色々とあるのです。

私の暮らしフルネスは、そういう体験がたくさんあります。子どもたちに千年後も遺していきたい懐かしい未来を実践していきたいと思います。

 

真の文明人

いのちは寿命を大切に最後まで使い切るときに喜ぶものです。最近は、寿命を伸ばすという言葉も聞かないくらいみんな消費することに没頭していきますが本来はなるべく消費せずにもったいなく使うことを大事にしていました。

捨てるという文化こそ、近代になって生まれた価値観でありその価値観によって環境問題も社会問題も荒廃の一途をたどっているともいえます。

例えば、回転数というものがあります。ゆっくりとじっくりと回すよりも、急回転させるとスピードが上がります。スピードが上がるというのは便利ですし消費行動です。スピードを上げて、回転数をさらに上げれば確かになんでもすぐに手に入るほどのものが増えますがその分、捨てるものも増えていきます。

これは全く合理的ではないうえに、寿命をみんなで短くしていく作業です。

人類は、あらゆるもののスピードを上げていきました。それは運輸、移動などの物質的なもの、そして時間というもの、さらには環境の自然循環であるものまで、本来のじっくりとゆっくりとみんなでゴミ一つ出ないような理想的でシンプルな状態を捨てて手に入れてきたものです。

そのことに由って、無理がたくさん生まれ無理した分があらゆる問題として浮上してきます。もう一度、スピードを落とそうとしても今更そんなことをすると時代遅れと揶揄されますからもはやブレーキを人類自体がかけられる状態ではありません。

もしかしたら、自然災害や隕石の落下など、現在の文明を一転させるようなことがあれば元に戻るのかもしれませんがまたそのうち同じことを繰り返すのでしょう。

そう考えてみたら科学というのは、自然から時を盗むことに似ています。自然の知恵を盗み、ある部分だけピックアップしてそれだけを便利に使い周囲の資源を急速に引き出すという技術。これは現在の量子でもAIでもバイオでもだいたい似通ったものです。

私は人類はブレーキを自分でかけることができたとき、真の文明人になる気がします。そのためには、自然を善く学び、自然から得た智慧を尊敬し、あくまで分を超えない程度で科学を用いる。

そこに真の文明人の徳を感じます。

子どもたちのためにもそのお手本になれるように精進していきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。

観察の場

毎日、自然は大きくまた微細に変化して已みません。私たちは日々に何気なく暮らしていますが、空の色から土の様子、風の様子、あらゆる生命たちの循環、ありとあらゆるものが変化し続けます。

そして何も変わっていないように見えても、心身の状態、関係性の状態、あるいは宇宙の影響、無意識下での価値観の状況など刻一刻と変化しています。

その変化に気づくことができるかというのは、とても重要なことで私たちは自己を観察を通してあらゆるものを観察していくことで真の自己を捉えることができる仕組みになっています。

かつて日本人は、自然との共生において非常に豊かな観察を行っていたのがわかります。それは伝統的な古民家での暮らしや、日本人の詩のたしなみ、他にも美しい情緒を含んだ日本語の中にも観えてきます。つまり、私たちは日々に観察力を磨き続けて自然と共生する道を選んできたのです。

今のような時代、この日本人の暮らしてきた知恵や生き方は世界にとても偉大な影響を与えることができると私は思うのです。

日本の風土は瑞々しく、四季の変化は特に膨大です。その一つ一つの変化の中で、どのように自分たちをととのえて、何を活かしてどのように自然の動きを活用して生活を営むか。これは農の本質であり、私たちはずっとむかしからその中で百姓をしてきたのです。

百姓の知恵とは、この自然の観察によって磨かれたものではないかと私は思います。

私も、百姓のように様々なことに取り組みますが四季折々のタイミングに生きています。一期一会もまたここから発生してきたものです。自然は有難く偉大で、慈愛に満ちているものです。

どんなに大変な憂き目にあっても、また春が来て四季がめぐります。他の生き物たちも一緒にこの場所に生きてみんなで全体に対して自己を貢献させていきます。共生の原理を学ぶには観察の学問を実践することが普遍的です。

子どもたちにも、あらゆる自然との共生を観察の場を通して磨けるように様々な作法を開発してみたいと思います。

茅刈り

昨日は、熊本県阿蘇郡高森にある萱場に茅葺屋根用の茅を刈りにいくご縁がありました。友人や仲間がたくさん駆けつけてくれて、みんなが楽しく茅刈りを行いました。

思い返せば、この茅葺とのご縁は私の故郷のお地蔵様が祀られている建屋の屋根を私が喜捨をして甦生するという話からです。その話は、地元の方々との折り合いがつかずに中断することになりましたがその御蔭で、一緒に徳積財団を設立することになった親族の叔父さんと出会い、その近くにある藁ぶきの古民家を甦生することになり、さらには今回のように英彦山の宿坊の屋根を葺き替えるというご縁になりました。

ご縁は最初からそうっなっているかのように繋がっていて、絶妙なタイミングで一期一会に場にも人にもと時にも出会います。答えが先にあって、それを象っていくかのようです。

有難いのは、その答えが最初からわからないからこそ有難い体験になっていくということです。私自身は慎重で臆病ですが、勇気を出せるのも挑戦できるのも、この「ご縁」を羅針盤にしているからだと思います。

資金面や材料面、知識も経験もすべて不足していてもみんながいるという存在感やご縁を信じるという目は見えない繋がりを味わって生きていくことができるからなんとかなっているようなものです。

今回の茅葺もとても貴重な体験になりました。

もともと私たちが古民家で使ってる材料は、すべて自然素材で自然由来です。ということは、その自然素材はどのような風土や環境で、いかなる特性を持っているのかを学ぶことで先人たちがどのように自然と共生してきたかがわかります。

ちょうど、私たちが茅を刈りに行った場所も本日から野焼きがはじまります。阿蘇の茅は特に良質で、しっかりとまっすぐに伸びていて丈夫でしなかやで品があります。水をはじき、長持ちし、雨や風から家を守ります。

昔の人たちは、身近にある素材を暮らしの中に上手に取り入れました。草草も捨てるのではなく、これはどのような徳が備わっていてその徳にどう報いようかと謙虚に考えたいのではないかと思うのです。

それは偉そうに、何かに活用してやろうといった人間都合の見識ではありません。自然への畏敬や畏怖、そして何よりもいのちを慈しむやさしさに満ちたものです。

私の取り組む甦生は、根本にはこの観点を忘れません。

今の私があるのも、人類が続くのもすべて自然の恩恵、自然の御蔭さまです。自然素材自然由来に感謝してこそ、本当の意味で本物の加工品になるのです。

子どもたちのためにも、プロセスを外さずに大切な文化を伝承していきたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

平和を持続させるために

私は、20年間、子どもに関わる仕事をしてきました。その子ども観というものは、子どもは生まれながらにしてすべてが備わっている完全な人間そのものであるというものです。

人間そのものというのは何を言っているのかというと、人間とは徳そのものであるということ。もう一つ進めると、もともとのいのちはすべて徳であるというものです。これは人間に限らず、全てが完全ですべてがいのちの一部。それを尊重しようという考え方です。

これは子どもに限らず、私は万物全てに徳が備わっていると思っていますから現在の古民家甦生だけではなくすべて取り組んでいるものはこの初心と観点を働かせて実践しています。

足りないから補うのではなく、本当にそのものの役割を発見して活かしていくという発想です。これは日本人の伝統的な価値観、もったいないなどにも通じるものがあります。

子どもは最初からすべてを備わっているからこそ、余計なことをしない。余計なことというのは、備わっていないと、足りないと、これはダメだや間違っているなどをということを無理やりに教え込まないということです。きっと、何か理由があってそうしているのだろうと尊重し尊敬して見守るということです。

これが私たちが社業で取り組む、見守る保育の考え方から学んだことです。

子どもは丸ごと信じてこそ、本当の意味で私たちが子どもから学び直し、子どもように素直で正直なままに自立して自分の天命を全うしていくことができると私は思います。

そもそも自立というのは、自分の自立ですがこれが人類の自立にもつながります。今のように世界を巻き込む戦争が起きそうなときこそ、教育者たちは真実と向き合い、平和ボケするのではなく「真の自立とは何か」ということを正対する必要があります。

真の自立をするのなら、人類はもっと優しくなり思いやりを忘れずに悍ましい戦争もなくなっていきます。人の心が貧しくなり、荒廃するからこそその結果、環境に現れていくのです。だからこそ、人の心に真の豊かさを甦生させていくことが末永く平和を持続するための知恵でもあります。

私が取り組む、場も暮らしフルネスも起点はすべて子どもを見守ることからはじまっています。こんな時だからこそ、希望を忘れずに自分の天命を全うしていきたいと思います。

平和の教育

最近、ロシアとウクライナの交戦の報道が各地から入ってきます。しかし、現地ではどのような感じなのかが体験したことがないのでわかりません。私たちは戦争を経験していない世代なので、映画やドラマなどどこか頭で考えている世界を想像しています。

実際には、ウクライナでは寒い中、食べ物も不足し、不衛生で一般的な生活がほとんどできない中で市民の方々はそれぞれに武器をもったり励まし合ったり支え合って戦争で耐え忍んでいるはずです。

それに攻める方も、大義がよく見えない中で一般市民の人々の抵抗を感じながら早く終わってほしいと願っているようにも感じます。

本当は人のいのちがもっとも理不尽に失われないようにするのが戦争の戦略です。しかし、経済戦争でもいのちは失われるし、実際の戦闘でも失われます。時間的な長短があるだけで、実際には多くのいのちが失われるのです。

そしてこれはどこか遠いところで自分たちと関係がないことが発生しているのではありません。地球は丸く、人も世界もすべて繋がっていますからこれがどのように世界に影響していくかはこれからの未来が決めていきます。

そして人のいのちを奪い合うとき、そこには憎しみや怒りが産まれます。これは何世代も、何十年、何百年とその後の関係を崩していきます。本来、同じ民族だったものや隣人や家族であったものが傷つけあうのです。

本来、仲裁するためにみんなで選出した国連や安保理のリーダーたちがいがみ合うというのはなんとも残念なことです。国というものをつくり、それぞれに富を奪い合って権力によって統一するという構造はいつも終わりはこうなります。

子どもたちの未来に痛ましく暗い影を遺すような舞台をつくるのは本当につらいことです。子どもたちの未来がどう明るく幸福に近づけていけるか、そのために私たちは生まれ挑戦していく必要があると思います。

私は人類が末永く平和でいられるためには人類が施されている今までの価値観や教育という刷り込みの洗い直しだと考えます。これはかつて同じように戦争で子どもたちを守りいのちを失った子どもの権利条約を発案したヤヌシュ・コルチャックがすでに実践して見せました。

私も彼と同様に、いのちを大切にして平和を築くには「子どもの自治」を幼いときから体験し、誰かや大人の勝手な都合でいのちを失わなくていいように子どもに体験させることだと思います。子どもはわかっているし、子どもはそこで平和を学ぶのです。つまり平和とはいのちの教育を学ぶことであり、真の自立を獲得する環境がいるのです。今の政治のリーダーたちがそのことに気づき、間違いを正し、本来、何のために人生があるのか、教育があるのかという目的から再設定しやり直す必要を感じます。

こういう時こそ、私たちは真の教育の意味を考える時機だと私は思います。子どもたちのためにも、私の役割を果たしていきたいと思います。

お布施行のお誘い

英彦山の宿坊、守静坊の甦生もあと少しとなりました。終盤に入ればはるほどに多くの方々からのご支援や見守りに感謝する時間が増えていきます。最初は、どうなるかと思いましたが費用面などは解決していませんが建物の方は見事に甦生してきました。初心を忘れずにここまでこれたこと、そして家も本当によく頑張ってくれています。こういう機会を与えていただけたことに何よりも深く感謝しています。

これからいよいよ宿坊から人の繋がりの方に入っていきます。

その第一の取り組みとして宿坊の屋根を今のトタンから本来の茅葺屋根に戻すという作業がはじまります。そもそも現代からすれば逆行するように見えて、周囲も予算がないのに何でこんなことをといわれますが私にとってはこの茅葺屋根の甦生こそ宿坊の原点回帰になると信じています。

そもそも屋根というのは、家の最も大切な場所です。屋根の御蔭で私たちは暮らしを安心して営んでいくことができます。その屋根に何を据えるのか、そしてどのように屋根をつくるのか、これが大切なことなのです。

私たちは古来より、人のつながりの中でみんなで助け合ってここまで生き延びてきました。決して一人では生きてはいけません。いくらこの世が個人主義になって自分が自分がと前に出ても実際には誰も一人では存在できません。だからこそ、私たちは社会を創っているともいえます。

今、コロナや戦争でどこか影を落として心身も少し元気がありません。こういう時だからこそ、みんなで助け合うという場が必要で、そのことに由って社会もまた明るく清らかになっていくように思うのです。

私たちは古来から、穢れを祓うという精神性を持っています。どんよりもしても、また清らかに素直に明るくいようとみんなで和気あいあいと一緒に利他に生きる喜びを楽しむのです。

茅葺屋根は、むかしは村のみんなで持ち回りで何年かごとに村人総出で屋根の葺き直しを手伝っていました。新築であれば、みんなで祈り棟上げをし村のみんなで子々孫々まで発展していけるようにと祈りました。

こういう日本人の心の原点の中にこそふるさとはあります。

私が、ふるさとを甦生するときは必ずこの茅葺屋根を葺いていた時代の「結」(ゆい)を思い返してその風景を甦生するところにこだわるのです。今回は、親友の阿曾茅葺工房の植田さんのところで茅を刈り取るところからみんなで参加したいと思います。

阿蘇は茅があるから懐かしい風景が残ります。野焼きによってまた見事な茅ができます。西の横綱とも呼ばれる阿蘇の茅は丈夫で美しいのです。この暮らしの営みの中で茅葺を葺くことを学ぶことは、単に私たちが原点回帰するだけではなく、心のふるさとを思い出すことによって元氣をいただけるように思います。

そしていよいよ4月2日には、みんなで英彦山の守静坊で茅葺屋根を葺き替えます。英彦山を懐かしい未来にして心のふるさとを甦生し、そこで日本全体を元氣にしていく種火になっていきたいと願います。

お布施行をご一緒できるのを心から楽しみにしています。