昨日は無事に守静坊の枝垂れ桜の支柱を交換することができました。もう200年も生きている老木ですが、今でも見事な花を咲かせてくれます。もともと幻想的な場所にある宿坊が、この枝垂れ桜の御蔭でまるで仙境のような佇まいを与えてくれます。
代々のこの宿坊の主人が、ずっと大切にしてきた枝垂れ桜は英彦山の歴史をずっと見守ってきた存在です。枝垂れ桜からこちら側を観れば、この時代、また新たに宿坊が甦り、その宿坊を守る人々、そして集まる人々、そして英彦山の未来をまた眺めているように思います。
私たちは主観で自分が見ている視点でばかり物を見ていますが実際は、向こうからも観られています。その観られている目線には、物だけではなく、時代、歴史、先祖、神々や天といった多くの視点で観られています。
人生はそういう意味で、詩であり、詩そのものを生きているともいえます。そしてその詩は、ずっとむかしから今まで繋がり続いているものです。
大勢いで作業をしながら、ふと心静かに振り返ってみるとむかしも同じように多くの人たちが集まり桜を守り、一緒に食べ、笑い、そして助け合い未来を信じてバトンを渡し続けていた光景を直感しました。
私も、そして参加した人たちも同じようにその光景をむかし体験して今も繰り返してかのようにも感じます。これは果たして先祖の記憶なのか、その場所にいつまでも遺っていた記憶なのか、それはよくわかりません。
ただ一つ言えることは、これは初めてではないという感覚。懐かしい何か、そして未来というものの希望を繰り返し願い祈った信仰や光景に再び出会った感覚に巡り会ったということです。
巡り会いは、一期一会ですがこれは最初ではない。
みんなで記憶を再び味わいながら初心を何度も思い出す事。こうやって私たちは同じ場所同じ時を生き続けているのかもしれません。
枝垂れ桜がまもなく開花します。
懐かしい未来を、深く味わってみたいと思います。