英彦山の菩提樹

昨日、英彦山の宗像神社の境内にある菩提樹周辺のお掃除をしてきました。もともとここはかつて弁財天をお祀りしていて明治の神仏分離や廃仏毀釈で宗像神社に代わったものです。

本来、ここは寺院だった証としてもこの菩提樹があります。この菩提樹は、植物名ではありません。この「菩提」はサンスクリット語の「ボーディ」(bodhi)の音写で、仏の悟りという意味を現します。なので菩提樹というと、仏の悟った樹という名称なのです。もともと仏陀は苦行難行の末菩提樹の樹の元で坐禅を組み、12月8日明けの明星と共に悟りを開いたといいます。仏陀はこの菩提樹と共に悟ったということでしょう。

今でもインドのブッタガヤには二千五百年前にその下で悟りを開いたといわれる菩提樹の巨木が存在しているそうです。日本では、インドボダイジュではなく中国産の支那菩提樹が植えられています。これは栄西禅師が文治5年(1189)香椎の文治寺植え、後建久6年(1195)に奈良東大寺鯖木の跡に植えられたものが各地の寺院に植えられたご縁でそうなっているようです。

この英彦山の菩提樹は県指定の天然記念物で昭和39年に指定されました。この天然記念物指定とは、文化的、歴史的にも価値があり日本の宝として保存していきたいというものです。

菩提樹の歴史をよく眺めると仏陀とのご縁で広がり、またその後の仏教の弾圧などを受ける因果の樹木でもあります。仏教と共に歩み、そして様々な歴史の苦難を共にしてきた不思議な樹です。私にはこの菩提樹の佇まいが仏陀の化身そのものにも観え、不思議な気持ちになります。

英彦山の守静坊にある枝垂れ桜も、数奇な運命で今も存在していますが同じ下谷を守り続けているこの菩提樹もまた数奇な運命であることを直感します。

この不思議な2本の樹木は、誰が何のために植え、そして今も何を語っているのか。

こうなってくると直観や五次元や量子の世界の話になってしまいますがこの樹木たちが歴史をとおして見てきたもの、そしてこの樹木に語り掛けてきたご縁のある人たちの想いを今に伝えているように私には感じます。

歴史のなかで、今も生き残り人々に触媒として何かを伝道し伝承する存在こそ日本の宝です。私もこのご縁を通して、未来の子どもたちに大切な宝を守り譲っていきたいと思います。

自然の仕組み

私たちは1年のめぐりを四季を通して行います。1000年続いていれば、1000回の四季を、そして2000年続いていれば2000回の四季を巡ってきたことになります。私たちは時代を年数で捉えますが、実際にはその回数繰り返してきたということでもあるのです。

自然の仕組みは見事で、毎年同じように繰り返されます。その都度、はじめからやり直すようになっていて私たちはその自然に合わせて自分たちもはじめに戻します。例えば、種を蒔き、芽が出て、花が咲き、実をつけまた種になる。この繰り返しですが、自然はその前の一年と同じことはほぼありません。毎回、はじめに戻りますが同じことは二度とありません。

その都度、私たちは謙虚に自然の姿から学び、自分たちを変化に合わせて成長させていく必要が出てきます。つまり自然の変化にあわせて私たちも進化し続けているのです。

同じように菜の花が咲いても、同じ菜の花はない。

これはタイミングも異なれば、同じ量でもない、大きさも形状も前の年とは異なります。つまり自然のあらゆる生命は同じように、自然と調和しながら進化を已みません。そして一緒に、進化して生きているのです。

私たちは自然と共生しながら、その生き方を学び、同じように変化に合わせて繰り返しの中でいのちを磨き直していきます。

いつまでも同じようにしていくのは、私たちが自然の存在であるからです。

大事な時こそ、今までどのようにして暮らしを営んできたのか原点回帰していたいものです。謙虚に、人類の行く末と子どもたちの平和のために尽力していきたいと思います。

お役目

遺志というものは時代を超えて受け継がれていくものです。しかもそのバトンは、受け継がれながら永続していくものです。肉体は滅んでも、魂は生きているという言い方をすることもありますが形を変えて生き続けているということでしょう。

これは歴史や伝統文化などに触れると、人はそれを直感します。

私たちは一代では為し遂げられなかったことを代々を重ねて為し遂げるのです。そこにはいろいろな人たちの想いが生きていて、その想いと共に歩み目的に向かってつながっていくのです。

私たちは想いが人をつなげていくのです。その想いは、歴史がつなぎます。

例えば、すでに失われてしまったような遺跡であったり、もう語り部がいなくなってしまったら終わりかというとそうではありません。遺跡も磨けばその失われたものが想いと共に顕現してきます。そして語り部も遺伝子を含め、深い記憶を持っている人たちが引き寄せられまた新たにそこから語り部となり甦生していくのです。

まるで眠っていたものを目覚めるように、そして地下水脈の水が井戸を通して溢れ出てくるように失われていたと思っていたものが見事に復活してくるのです。

私たちはその復活してくるものの呼び水になればいいということです。

現在、取り組んでいる歴史の甦生は日本人が代々受け継いできた生き方やあり方、そして精神や魂などの根源とのつながりを結び直す作業です。こんなことをしたからと何かすぐにメリットがあるわけでありませんが、ご縁を大切にしていくなかで渡された襷は次代へとつないでいく責任もあります。

子どもたちが安心して、仕合せな暮らしを伝承していけるように私のお役目を果たしていきたいと思います。

 

ミライアングル

昨日、聴福庵でRKBの新しい番組「ミライアングル」の収録を行いました。この番組のテーマは「産学官トライアングルを未来につなげる“ミライアングル”」とあります。それぞれの役割を調和しながら新しい未来を創造していくという意味もあるように感じました。

取材内容としては、はじめにディレクターから「つながり」という言葉を投げかけられました。これは先日、英彦山の宿坊の結(ゆい)という活動の収録の時に皆さんから聞いた共通した単語だったようでそこが気になっていたからとのことでした。

私は、このつながりのことを最初からつながっている世界という見方をしています。つまり分かれていたものがつながるのではなく、最初からつながっていてそのつながりに気づいたというだけだということです。

説明としては、こうです。

今の私たちが存在している歴史のことを考えてみます。すると、今の私があるのはずっと前の先祖から今までつながっているから存在しているのはすぐにわかります。その間、さまざまな周囲の人たちとのご縁が結ばれて今の私が取り組んでいることも一緒につながっていることもわかります。切れていたら、存在してもいませんから切れずにつづいているということになります。

他にも、私たちの身体は様々な要素で構成されます。この自然界も同様に、すべてのものはつながりながら肉体や物体を維持しています。そこには渾然一体になっているあらゆる存在があり、つながっていないものはこの世には一つもありません。

そういう一人ではなくあらゆるものが一つになっている中の一部としての自分という存在に気づくと人は無償の愛や安心基地を感じることができるようにも思います。

現在は、個人主義でどうしても自他を分けていきます。そして様々なことを分類分けしては仕事を増やして文明を繁栄させていきます。そのことで、より自分というものを見失い、そもそもの地球や自然といったものと乖離した経済も増大してきたのでしょう。

しかしつながりの世界では、何ひとつこぼれおちるものはありません。天網恢恢疎にして漏らさずです。

私たちは時として常に原点回帰し、真に自立して豊かに仕合せになっていくためにも、つながりに気づき繋がり共に歩んでいくことが重要です。子どもたちはつながりの中にあるからこそ、敬天愛人のような真心を感じて自分の人生を歩んでいくことができるように思います。

聴福庵や、守静坊、他にも様々な古民家甦生を手掛けていますがこのどの施設も私と歴史と深いつながりのある場所ばかりです。先人たちや先祖の存在をいつも身近に感じながら、未来から逆算して今を刷新していきたいと思います。

力を合わせる

近く、知事が来られることもありなぜ知事と呼ぶのかなども疑問に思ってみると色々と知らないことがわかってきました。今日は知事を深めてみることにします。

そもそもこの「知事」を調べると、これは(寺院の)物事を治め司るという意味のサンスクリット「カルマ・ダーナ」を漢訳した言葉に由来するといいます。 中国では隋の時代より、主に寺院での住職の名称として用いられているようでその後宋代に地方の府、州、県の長官を「知某州事」「知某県事」などと呼ぶようになり、短縮されて「知県事」「知府事」などと呼ばれるようになって今にいたるといいます。

英語では governor といい、古代ローマの属州やイギリスの海外領土の governor は、「知事」ではなく「総督」と訳されているともいいます。

知事は地方自治法により「普通地方公共団体の長」として都道府県に置くことが定められている職で地方公務員でありながら、地方公務員法が適用されない特別職になるといいます。

知事の仕事はその県民の暮らしを守るリーダーとして住民の健康福祉、教育、商工業、農業などをより充実させ活性化させる仕事です。たとえば、予算案の作成をし、財団と事業を判断し経営をします。他にも条例を制定したり改正や新条例もつくります。この予算案や条例案は、年に数回開かれる都道府県の議会に知事が提出してその内容をもとに予算案や条例案を練り、議会の承認を得て初めて、実施されるという流れです。

そのために日頃から職員や各分野の専門家と会議を開き、地域の問題を把握し、その解決策を講じていきます。またそれぞれの住民の代表とも面会し、住民の要望を直接聞いて県政に活かしたりします。他にも、商工業の発展、観光、企業誘致、PR活動など、多岐に及びます。

県の暮らしがよくなるのは、日ごろから県知事はじめ県庁の方々が県民のために奔走してくださっているからです。それが市町村にわかれ、それぞれの首長がその場所で同じように取り組んでいるということです。

よく市町村でそれぞれにライバル視したりしていがみあっているところもありますが、同じ県民であり、さらに大きくすれば同じ日本のことです。みんなで未来のために、子どもたちが安心して暮らしていける世の中にするために力を合わせていくといいと思います。

私も、私にしかできないことでお役に立っていきたいと思います。

真の調和

最近、ブロックチェーンの関係でweb3.0の話ばかりを耳にします。そもそも思い返せば、25年前にインターネットもなかったような時代から今までずっとITに関わり、会社を経営していく中での経過を見ているとおおよそのことは予想していた通りでした。人間が使うものだから、人間がどのようにその道具を使っていくのかは歴史を見れば大体同じです。

情報などわかりやすいものですが、誰か特定の人だけが知っていた李、既得権益で隠したりしていると、それを持っている人と持っていない人で格差が出ます。それをみんなでオープンにしようといったり、シェアしようとするのは自然な流れです。

そもそもこのweb3.0を最初に提唱した仮想通貨「イーサリアム」の共同創業者のギャビン・ウッド氏がアメリカのスノーデンの告発の問題意識からであるそうです。

中央集権から分散型へ、これもまたある一定のGAFAなどの企業が情報や富を独占する中で、この行き詰った状態を打破するために新たに生まれた産業構造が現れます。シェアリングエコノミーなどのその一つであることが容易にわかります。

産業革命は新しいテクノロジーによって起こりますから、今のブロックチェーンというテクノロジーがどのように産業を換えるのかは産業に関わる人たちの一つの生命線にもなっているということです。

私は、デジタルとアナログのバランスが重要で、本来は人間がデジタルをきちんと理性的に活用していくことを暮らしでととのえていますからどうしてもデジタルだけの方の話は偏って感じます。

最近、結(ゆい)という相互扶助の集まりを甦生し茅葺屋根を甦生しました。みんなブロックチェーンのことはあまり知らなくても、私がそこで話せばすぐにDAOや自律分散型の意味を伝えることができます。また聴福庵というように、物が調和して繋がりあうような場をみせてその概念を伝えることがあります。また羅網のような仏具で話すこともできます。

すでにある概念ですが、理想ははっきりと心にあります。

子どもたちのためにもこれを実現するために、地味なところで根気強く真の調和に挑戦していきます。

真の技術革新

現代は、最先端技術が次々開発されていきますがそこに人間が合わせるという進化をしています。つまり人間がロボット化していくような変化が増してきているように思います。

本来、テクノロジーは人間を支える大切なものですがその人間を苦しめたり不幸にするようなものになるのはそこに人間の欲が介在しているからです。どんなにいい技術を産み出してもそれを使うのは人間です。人間と技術は表裏一体であり、善い人間がいい技術を使えばその技術は道徳的になります。その反対に、欲に呑まれてしまう人間が技術を使えばその技術は悪魔的なものにもなるのです。

つまり人間と技術の発展は、常に人間のもっている資質が重要であり善い人間が使う技術でなければならないのです。不幸になるのは、その技術を悪い人間が使う時です。戦争も同様に、破壊兵器はますます強大で残酷になり地上の生き物を滅ぼすほどの威力になっています。そんなものを作り出すことを先人たちは望んでいなかったはずです。

だからこそ人間は最初に謙虚さを学び、後の世のことを考えた最先端技術を磨いていく必要があるように思うのです。

もっとも始まりのところが間違ってしまえば、それを修正するために産み出された技術が最先端技術となってしまいます。そうではなく、はじめのところをよく考え抜き、後世にとってこれはどうなっていくのかをよく吟味し、人間が不幸になるようなものを作らない、そしてそれも使わないとみんなで理解して取り組んでいく必要性を感じます。

しかしそうはいっても、すでに複雑に大量に出回っている技術がありどうにもできないのならせめて人間が真に豊かになるようにその技術を活用していくことが人間のためになると思うのです。

具体的に言えば技術を使って、人間に気づきを与えたり、人間が善くなったりするような仕組みを開発するのです。

私が今も取り組んでいる仕組みは、古いものと新しいものの調和、融合です。それは人間が真の豊かさを味わいながら、それをさらに増幅させるための技術です。

子どもたちのことをよく考え、未来に大切な優先順位がブレないようにさらなる真の技術革新を目指していきたいと思います。

本物の技術

「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」という言葉があります。

これは玉川大学の玄関に彫られた格言です。これは理工系の者が陥りやすいといわれる、唯物的な考え方にならないようにとの警鐘として残されているそうです。その玉川大学のHPにはこう紹介されます。

「科学技術の進歩は、明と暗の両面を持つ。平和利用されれば人間社会を豊かにし、戦争に利用されれば多くの人間の命を奪う。この言葉には、“人間至上主義的・科学万能主義的な考え方や教育が、人の姿をした悪魔をつくっているのではないか。科学技術を学ぶ者も、人間を超越した存在を知り、神を畏怖する心を持った人でなくてはいけない”との、創立者小原國芳の強い願いが込められている。」

この神を畏怖する心を持つ、つまり謙虚であることを学ぶという意味でしょう。本来の学問というものは、学べば学ぶほどに畏怖に近づいていくものです。自然の偉大さ、今、私たちが存在していることへの有難さ、科学というものを真に理解するとき私たちはその偉大な存在、畏怖に気づくように思います。

すると自然を征服しようと傲慢にはならず、自然に学び自然と共生していく謙虚さを学び直すように思います。

私が運営するBA(ブロックチェーンアウェイクニング)は、先人たちの大切にしてきた日本人がどのようにその自然への畏敬をもって技術を学び磨いてきたかを身近に感じながらこの時代のテクノロジーの活用を原点から考え出せるような環境があります。

現代は、科学技術によってさまざまな環境問題が引き起こされています。フロンガスやダイオキシン、マイクロプラスチック、列挙すればきりがないくらいあります。善くない理由よりも人間にメリットがあれば、すぐにそれを認可して標準化されます。しかし、一度、そうやってはじめてしまえばやめることはできません。産業が複雑に絡み合っていますから今更やめることはできないのです。それを代替えでやろうとしますが、本当に最初の始まる前になるわけではありませんから対処療法ばかりしているだけで根本的には解決しません。

科学技術は最初が肝心であり、始める前に終わりをよく考えて取り組む必要があるのです。日本人のむかしの科学技術はほとんどが自然に還るものでできていました。つまり循還型であったということです。今の循環型は、人間の都合の循環であり自然循還ではありません。

自然を尊敬し、畏敬の念や畏怖の念がありませんから好き勝手に技術を悪用することも、後先考えずに使ってみようとリリースするのです。そうしているうちに、今の核兵器や毒ガスのように悪魔の技術が誕生してきます。誕生したら、使わないとはならないのです。

だからこそ、私たちは人間を教育し、自然と共生する人間を育んできたように思います。これは別にパソコンなどの機械を開発しないというわけではなく、謙虚さを学び、そのうえでこの科学技術をどれだけ自然の理にかなったものにするのかと追及していくということです。

そのためには、先人が残してくれている本物に触れることでもあるし、自然の篩にかけられても残っているものの仕組みやその思想を学び直すことだと私は思います。

学校で学べないものをどう学ぶのか、つまりどう知恵を学び、徳を磨くのかが重要になると思っています。

この時代、なかなかこんなことをやる時間がない。即席技術者を育成して世界との競争力を上げたいというニーズはありますが長い時間をかけてじっくりと人間を育成しなければ本物の技術者は誕生しません。

友人の遺志を守り、私の場からそういう人物を増やしていきたいと思います。

今を生きる責任

昨日は、無事に20周年の振り返りを行い21年目に向けて気持ちを新たにしました。これまで支えてきてくださった方々の存在の大きさに改めて感謝する一日になりました。今では、本当にたくさんのご縁に恵まれ、私たちを今も応援し一緒に歩んでいく家族やパートナーが増えました。本当に有難いご縁に深く心から感謝しています。

よく私は大切なことを語るときに「懐かしい未来」という言葉を使います。しかしこれは決してむかしが一番いいからむかしに戻そうと言っているのではありません。最近は、コロナが流行してから以前みたいに集まりたいとか、むかしみたいに海外旅行に行きたいとか、すぐに過去がよかったというような言葉を聞きます。しかし今この時、この瞬間はすでに過去ではなく未来そのものになっています。

だからこそこの今である未来そのものが一番いいとなっていることが仕合せであり、そうやってこの一期一会の今を刷新していくことで懐かしい未来を継いで仕合せをさらに守っていったように思うのです。

先人たちは、自分たちよりも子孫が不幸になってほしいなどと願ったことはありません。今の自分たちの仕合せを同じように、子孫たちにも譲っていきたい、もしくはもっと仕合せになる世の中を創造してほしいと心から願ったはずです。そこには自然界のように無償の愛に満ちています。

だからこそ、今を生きる責任をもっている私たちはこの今をかつての先人や先祖たちが願ったように仕合せな世界にし、また同じように子孫にその仕合せを繋いでいきたいと思うのです。

人は人からされたことをまた他の人にしたいと思うようになります。この連鎖は、ずっと変わらずに今もこの世を支えています。だからこそ謙虚に、子どもたちの仕合せを願い誠実に今を善いものにしていくために精進していく必要があるのです。

過ぎた過去は戻ってきません、その過去を善かったものにするにはこの今をまさに善くしていくことだけに専念していくしかありません。今を見て今に生き切るのは、その時々のご縁を大切にしたいと願うからであり先人たちのような美しい生き方を子孫に繋いでいきたいと思うからです。

今があることに感謝して、いのちと調和していくことが真の豊かさになり心のままに生きることのようにも感じます。これからもいただいてきたご縁を感謝で結び直して、新たなご縁を結んでいきたいと思います。

20周年

起業して20周年を迎え、これから21周年目に入ります。多くの方々にご支援、ご指導をいただいて20年間、子ども第一義の理念に取り組んでくることができました。本当にありがとうございます。

振り返ってみると、最初に会社を立ち上げたときのことを思い出します。満を持して会社を起業したという感じではなく、周囲から押し上げられるように会社をつくることになったのを覚えています。そして最初のスタッフは友人や兄弟などからはじまりました。夢や希望だけはありましたが、他にはほとんど何もなくまさに裸一貫のような感じでした。

それが次第にお客様とのご縁が増え、事業も増え、スタッフも増えていきました。会社としては利益が増えたのですが、目的から少しズレていくのを修正するばかりにエネルギーを奪われて疲れていきました。そこから理念を定め、理念経営に舵を切り、色々な事業や取り組む内容をととのえていきました。老舗企業を研究し、どうしたら1000年続く会社になるのだろうかと試行錯誤しているうちに会社もスリムになり、今に至ります。

この今も、裸一貫のような気持ちで続けていますが家族が増え、同志が増え、子ども第一義の理想に向かってみんなで手を取り合って挑戦を続ける日々を送らせていただいています。

カグヤという会社は竹取物語が由来で竹がよく使われます。この竹には節目があり、節目があることが成長の証でもあり柔軟にしなやかに逞しくなっていく由縁でもあります。

会社の節目は何だったのか。思い返すと、たくさんあります。事件ばかり、感動ばかり、ご縁ばかりの20年でした。今日は、みんなで東京のライトハウスに集まりその節目を振り返る一日になります。

これからも子ども第一義の理念を実践し、1000年先の未来から逆算をして私たちにしかできないことをやり遂げていきたいと思います。