昨日、聴福庵に来られた方々にここまで直すのにどれくらいかかりましたかと聞かれました。実際には、今も修繕し続けていますから5年以上ということになります。そして今も、お手入れしないと傷み壊れていきますからずっとやっていくことになります。
つまり古民家に住むというのは、日々のお手入れをして直し続けることは当然のことになっていきます。実際に、この時期などは少しだけ目を離せば、庭はあっという間に雑草だらけになります。他にも、誇りを被ったり小さな蜘蛛が入ってきては巣をつくります。定期的に磨かなければくすんできますし葉っぱや落ち葉も風で落ちてきます。
本来、この修繕やお手入れというものは暮らしの一部でした。暮らしの中で自然への畏敬を忘れずにいつまでも生きていくということ。こういう日々の暮らしの中でずっとこの修繕とお手入れは引き継がれてきました。
それがこの150年くらい前から、生活様式が一変し、便利なものが増えて修繕やお手入れは特定の人たちだけがすることになっていきました。古くなれば新しく買えばいいということで、メンテナンスや維持するための努力をなくしていきました。そうしているうちに、完全に壊れてしまいゴミのようになって捨てていくという具合に失われていきます。
不便さというのは、弱いものです。弱いというのは、頑丈でもなく強固でもない。お手入れをしてあげなければ壊れてしまうというものです。日本の家屋は基本はこの弱さを重ね合わせたもので完成しています。
弱さがあるからこそそれぞれの持ち味を活かして協力し合い真の強さを持てるようになります。まさに弱さこそ、日本文化を活かす真髄ではないかと修繕とお手入れをしながら感じます。
この先も実践は続きますが、先人たちと同じように丹精を籠めて日々の実践をしていきたいと思います。