ずっと英彦山の甦生で時間が取れず、ご縁あって昨日は久しぶりに滝行をしてきました。ちょうど大きな節目ということもあり、心身を清めたいと思っていたのでとても良い機会になりました。この滝場は、いつもお世話いただいている方に綺麗に掃き清めていただいており訪れるだけでとても清浄な気持ちになります。
滝はただ水が流れている場所ということではありません。お滝ともいい、そこには確かないのちがあります。流れる水の中にいのちがあるというのはおかしいと思われるかもしれませんが、むかしから修行者たちにはその状態が共通して感じられているともいいます。
ただの水浴びではなく、滝行というものは心身を磨き心を研ぎ澄ます別のものです。
長い年月、この場で修行をされた方々が時間をかけて醸成されてきたものです。水が流れていますが、もう何千人という方がこの場所で禊をしたのかと想いを馳せると頭が下がる思いがします。
ほとんどの行者は、自らを清め祓い、そして力を恢復し人々の心身の救済のために働いておられたのでしょう。祈りというものは、祈る人の清浄さや純粋さ、そして美しさによって加持祈祷も効力を発揮したのではないかと思います。
自らを研ぎ澄ませていこうとする精進の姿勢を共感するとき、修験者たちの生き方に触れる思いがしました。
滝行のあとは心身の感覚も研ぎ澄まされ、同時にリラックスできます。夜眠り朝起きると滝の余韻が身体に残っています。人生の中で、こういうお水との関わりが持てたことに仕合せを感じています。
水を使い浄化する、その知恵や仕組みも徳の醸成と共に伝承していきたいと思います。