場と記憶

古代文明というものがあります。巨石文明もですが世界各地でむかしの文明の跡が発見されています。それぞれに高度な文明を持っていたことはわかっていますが、今はその痕跡はほとんどありません。一体、どんな技術を持っていたのかは想像でしかありません。

いくつかオーパーツのようなものも見つかっていますが、その使い方もわかりません。ほとんど石化したりしているのは、石は自然物の中でも特に長く風化しないからでもあります。

そう考えてみると、私たちが今、身の周りにあるあらゆる文明の道具もまたもしものことがあればあっという間に風化していくのでしょう。そう思うと不思議な感覚があります。

私は伝統文化や暮らしを甦生させていますが、文明や文化が滅びていかないように温故知新して甦生させ続けています。これは先人たちが今まで育ててきた知恵を守ろうとしていることでもあります。しかしその知恵も真の知恵というものがあるように思うのです。

技術を守っていくことが知恵なのか、それとも知恵は生き方なのか。どの時代もすべてのいのちには営みがあり、それを記憶しています。歴史というものは今も生き続けていて、私たちは失われた文明や文化の歴史のあとを生きていますがそれもまた私たちと一緒に生き続けているともいえます。

そういう今の私たちがどのような歴史を創るのか。

私が守りたいものというのは、文明や文化の知恵ではなく歴史を守りたいのかもしれません。存在するものとしての歴史であり、そしていのちの続けている証です。これは記憶のことです。

場の研究をしていると、場にはそのすべてがあることを感じます。

子どもたちのためにも、自分の役割を果たしていきたいと思います。