むかしの日本の歴史を調べていたら、素晴らしい生き方をされている方々のことが伝わっているものがあちこちにあります。その地域の偉人ともいう人ですが、今でいう医者であったり、教育者であったり、僧侶だったりします。
そこにはお金をもらうために職業を選択するのではなく生き方に憧れて職業に就くというものがあったのでしょう。尊敬される人たちが、その場、その場で徳を積みそして場を高めたことでそののちにその土地からまた偉大な人物が登場したりするものです。
私は大分県の耶馬渓にある青の洞門が好きで、時々、訪れます。禅海和尚が人生を懸けて取り組まれたところで、色々と苦しいときや辛い時は想いを馳せて共感します。この土地でその後、福沢諭吉が育ってきます。時代が異なっても、その土地に遺徳は場として生き続けていきますから生き方もまた伝承していきます。
尊敬される人が出るというのは、その尊敬の陰に憧れた人たちがいますからその人たちがあとを継ぎ、つなげ、また同じような存在となり時代を超えて人々のために働いてくれます。
むかしの人たちは、そうやって生き方を選び恩返しをしてきました。そこには横軸ではなく縦軸として時を超えて働いていこうとする経糸のような生き方があったように思います。
その時々で、人は周囲に恩返しをして生計を立てていきます。僧侶や医師や教師は、むかしは今でいうボランティアのような生活をしていたとあります。江戸時代の武士も同じように尊敬される生き方を志して学んでいたとあります。寺小屋でもまた、立派な人物になるようにみんなで切磋琢磨学んだように思います。
理論と実践というか、むかしはお手本が身近にありその人に触れて薫陶を受ける機会を求めて学問を磨いた人が多かったように思います。志は師友の出会いで道が拓けていきますから、いつの時代もその生き方を継いできた人たちによって日本も守られてきました。
話は戻りますが、耶馬渓の風景の中にはその場で醸成された生き方の余韻があるように私は感じます。最後に、福沢諭吉の言葉です。
「社会共存の道は、人々自ら権利をまもり幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重し、いやしくもこれを侵すことなく、もって自他の独立自尊を傷つけざるにあり」
自他一体に全体快適に生きる場を、この時代でもととのえていきたいと思います。