神鏡からの知恵

神鏡というものがあります。ウィキペディアには「神鏡の意義に関しては、一般的には太陽を鏡で指していると言われる。これは、鏡で日の光を反射した際、それを正面から見ると太陽のように輝いて見える為であり、日本神道 では太陽神 である天照大神 (アマテラスオオカミ)を最上の神として崇め祀るので、太陽を象徴する鏡で以て御神体 とし、神社に祀るとされている。『日本書紀 』においては、天照大神 は孫である瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト)に、「これらの鏡を私の御魂として、拝するように常に奉りなさい」と記述されている。」とあります。

神鏡は日本の神話で有名な三種の神器の一つなので聞いたことがあると思います。

今回、宿坊とのご縁で神鏡を預かりそれをお手入れして元の宿坊に戻すことになっていますが私がほとんど神鏡のことをわかっていないことに気づき、学び直しています。

鏡というと、毎日、洗面所で見ているものです。顔を洗い、自分を見つめるもの。自分をそのまま映すものです。しかしその自分はどのように見えているのか。いのちがあるものとして丁寧に見つめることがどれだけあるのか。ただの道具として、見た目がいいかどうかばかりを気にしていたり、目が届かない自分の身体の部分を見るのにつかいます。最近では、スマートフォンにも自分を映す機能がありますから鏡の代わりになっているともいえます。

以前、ある人に鏡というのは、カガミで真ん中のガが取れたらカミになるとお聞きしたことがありました。我が神の間にうつりこむというのは上手いたとえだなと感じました。

ここ数日、鏡が如何に自分自身であるかを痛感することがたくさんありました。曇っていては映らないこと、そして傷がついてしまっては観えにくいこと、磨き方やお手入れの仕方の中に自分の癖や隙があることなどです。今までよく考えもせず、神鏡を扱っていましたが改めて今回の出会いで学び直したいと思うようになりました。

これも神鏡を磨いたことでしか得られなかった邂逅です。ここに一つの導きがあるとして、磨くことを学び直したいと強く思いました。

知恵を学び、自分自身で神鏡から学び直していきたいと思います。