私たちが生きている世界には目に見えるものと目に見えないものが合わさって存在しています。目に見えるものを見て、これはどうやってできたものかと考えると目に目えないプロセスがあってできていることがわかります。そのプロセスをどのようにしたのかというのは、後になって目には見えませんがそのことで目に見える世界がどのようになっていくのかもわかります。
これは人間でも同じです。人間が修養を積み、徳を磨けばその結果としてその人の人柄や人物が顕現してきます。いくら見た目をよくしても、内面的なものは誤魔化すことができません。つまり目に見えるものと見えないものは表裏一体であり、デジタルとアナログのように結ばれ循環しているものです。
人であればこのように人徳として薫ります。そして物であればそれは場の佇まいとして余韻があります。どのようなプロセスで取り組み、どのような精神で関わり、どのような生き方で向き合ったかはその場にいつまでも遺るのです。
私は古いものを甦生していきますが、手で触れているとそのものの持つ徳を感じます。それがどのようなものであったか、目ではわからなくてもお手入れをすることで直観していくことができます。
特に心を籠めて、心の速度で丁寧に取り組んだものほどそのものが放つ美徳に感動します。時に心が宿っているからです。古いものの中には、それぞれそのものを作り出す作り手の真心、そして一期一会に集まってきた素材たちの絶妙な調和があります。
適材適所に、一期一会に、そのいのちが調和し新しいものが甦生していく。まさにこれは徳の循環であると私は思います。
徳が循環する世の中にしていくためには、私たち人間の方がその徳の循環を意識として自覚している必要があります。これは知識では得られず、まさに智慧の世界の話であり意識の問題のことです。意識を高めるには、徳を磨く必要があります。そして徳を磨くための実践が暮らしフルネスの中にあります。
日々の意識をどのようにお手入れしていくか、いのちをどのように豊かに健康に仕合せにしていくか。シンプルなことですが今ではそれが難しくなっています。徳の循環を通して子どもたちが真に豊かで仕合せな人生が歩めるように見守っていきたいと思います。