私たちの今の暮らしの中には先人の知恵が溢れています。しかしその知恵は正しく伝承されなければ、単なる知識になって伝承されることはありません。本来の伝承は、伝える側と承る側がそれを知恵のままに伝授されることではじめて成立するものです。その理由は、それが智慧でありいのちであるからです。
いのちというと、今は生き物のことをいいます。もしくは心臓のことを言ったりします。しかし実際のいのちというのは、光であったりお水であったり、または伝統的な文化のことなどもまたいのちです。つまりいのちというのは、目には見えませんが意識をすれば意識の中に存在していてそれを観える意識の人たちが観えるままに引き継いで子孫へと伝承していくことでいのちのままで存続することができます。
いのちを絶やさないというのは、私にしてみれば意識を絶やさないという意味です。常に意識を保ちいのちのまま、知恵のままにしておくことでそれは永続することができます。
その行為を私は「お手入れ」と名付け、暮らしフルネスの極意でもあり実践とも呼んでいます。そして別の言い方では、徳を積むともいい、それを循環させることで道徳と教育の一致、つまり真の伝承育とも呼びます。
私たちは心のふるさとというものをみんな持っています。それは地下水脈に隠れて今では水面下ですが、それを汲み上げれば滾々と湧き出る泉のように流れてきます。それを飲み、私たちはまた元氣を甦生し、健康で長寿、仕合せ、真の豊かさを得続けることができます。
本来、この地上に存在し地球の楽園にいのちがあること、いのちと共にあること以外の仕合せなどはありません。足るを知るというのは、このいのちだけで充分ということを悟るということだと私は思います。いのちだけで充分というのは、いのちが充実する喜びのことを言います。
知恵が伝承していくためには、知恵を伝承されていのちを守り続けて使い続ける人たちを集めて繋いでいく必要があります。その知恵を暮らしの中で使い続けている存在のことを私は仙人と定義しています。仙人は、時代を超え、時空を超え、歴史に生き、歴史をつなぎ、歴史を創造し続けていく存在です。終わった存在ではなく、今もなお、知恵を受け継ぎ心のふるさとを思い出せる存在です。
その仙人たちを掘り起こし、地下水脈から文化という水脈を汲み上げ、それを子どもたちに伝承していく。これが私が徳積財団を運営する真の理由です。
現代のような知識に溢れた空気をいつも吸っていたら、この意識の話は理解されにくいかもしれません。しかし本来私たちがずっと吸ってきた日本の空気は、伝承や伝統、文化やいのちといったご縁や徳風の空気でした。
時代の風向きが変わってきた今こそ、伝承の甦生に一緒に参画して取り組んでいく仲間を集めていきたいと思います。