日本人を結んでいく

昨日から暮らしフルネスの体験で、熊本の保育園の先生方が来庵されています。こちらの園は子どもたちに対する保育はすでに非常に素晴らしいのですが、子どもの心のふるさとになるためにさらなる高みを目指して全員で取り組んでおられます。

以前、こちらの園で獅子舞を拝見する機会がありました。ここでの獅子舞は、単なるセレモニーとしての獅子舞ではなく私が幼い頃に畏怖を感じ、武によって守られているという実感を得たものでした。子どもの頃のそういう体験は一生忘れず、何か大切な背骨と繋がって残っているように思います。

当たり前ですが、改めて何が日本人であるのか。日本人とは何か。これを本当に実感として子どもたちに応えられる大人がどのくらい今はいるのだろうかと思います。

例えば、日本に生まれれば日本人なのか?両親の血がずっと日本であれば日本人なのか?DNA検査で日本人であれば日本人なのか。確かにそれも同じ日本人と呼ばれるものです。

しかし本当の日本人とは何かということは、意識の中にこそあるように私は思うのです。もっと深く考えたら、それは日本人の知恵を伝承し続けている人たちのことをいうように思うのです。

今の私たちは、先人たちの体験の集積によって存在しています。あらゆる体験を通して、先人たちが得たものは知恵です。その得た知恵を組み合わせて統合されてきたものが日本人の精神の中に存在します。その日本人の精神をそのままに受け取り、そしてそれを温故創新し続けることで日本人であることを保つことができるように思うのです。

現代は、形式だけ日本になっている事例がたくさんあります。これは知識としての日本っぽいもの、私の嫌いな言葉では「和風」にしたということですが和風と和ではそこに天地の開きがあります。

和であるということは、統合されたままの意識を保っているということでありこれは日本の文化が背骨に入っていてそれがいつでも活かし使える状態になっているということです。

ある意味、私たちは記憶を伝導していくための器みたいなものです。これは道具も同じく、使い手の魂が宿り道具もまた記憶を伝えていくための器です。この記憶は知恵であり、この知恵をつなぎあわせて結び合わせる存在が今の私たちということになります。

自分が先人たちにそうしてもらったように、私たちも同じように子孫にその記憶や知恵を結んでいく。そこにこの人生の大切な使命を感じるのです。

子どもたちがこれからどのように保育の中で、その記憶や知恵を伝導し伝承されていくことになるのか、暮らしフルネスの実践がこれから楽しみです。