歴史には表に出ている歴史と裏で行われた歴史もあります。またその中間にある、陰で働いている歴史もあります。私たちが一般的に学ぶ歴史というのは、教科書に書かれているような国家に認められた歴史のことです。世界では教科書が変われば歴史も変わります。特に歴史は勝者の歴史というように、歴史上、その時代の勝者が過去を書き換えて自分たちに都合のよいものだけを残してきたものです。
それくらい歴史は、コロコロと時代の流れと共に入れ替わってきました。しかし、事実は事実として存在したこと、そしてその歴史が発生する必然的なものは「場」に残ります。この場とは、地理的な場であり、人の口伝というように伝承されたもの、そして生活文化や因果に照らしたご縁というようにあらゆるものを総合的に観て感知していくものです。
例えば、今の自分というものは突然今の自分ができたのではありません。ここまで来るのに一度も途切れずに存在している歴史があります。その歴史は、自分の肩書や立場、プロフィールなどは表の歴史というのでしょう。しかし実際には知られていない苦労や努力という評価できない裏もあります。さらに、それを助けてくださった大勢の方や家族、友人様々な神仏のご加護といったような「御蔭」があるのも事実です。
本当は私たちは何を学ぶことが大切なのか。それは表に出てこない部分、真実であることは道理です。歴史の本当の力は、この真実を学ぶことにこそあります。その真実は、知識だけで得られるものではなく生き方や伝承によって知恵として繋がり結ばれていくものです。
本当は世の中には、名前もなく人にも知られていないような方々のいのちがけの真心によって時代はつくられてきました。代表的な偉人の名前はただ、後世にその象徴としてその人が現れただけで実際にはその人一人が世の中で時代を創るには本当に大勢の御蔭の方々の尽力によって実現しているのです。
そういう方々への感謝を忘れないことは、真実を伝道していくうえでもとても大切なことです。特に神代という神話の時代、なぜ日本人は日本人なったのかや、はじまりのときにどのような生き方を定めて今にいたるのかということは真実として伝承されてこそ真の力を得られます。
時代が変わっても、変わらないものがその御蔭の中にあります。子どもたちにも自分の根が何かということを体験を通して理解し、今の先にある未来をよりよく生きてほしいと祈ります。
真摯に実践を通して、真の歴史を結んでいきたいと思います。