この頃の雲のグラデーションはとても美しく、清らかで寂しい感じがします。秋が深まってくればくるほどに賑やかだった夏の気配がなくなってきます。哀愁の風が吹いてくるのです。
この季節というものは自然界だけに止まりません。人間界にも同様に四季があります。歴史の四季があります。繁栄と衰退、一つの季節がありまた次の季節へと時節が移ります。季節が廻り、それまでのことも一つの節目となり終焉します。そしてまた冬が来てすべてを雪が覆いかぶせます。
春になり新芽が出たらそれが新たな季節の到来です。その新芽を見守ることで、新たな季節がはじまります。新芽はどこにあるのか。それは自然の中にも人間の中にも、そして心の中にもあるのです。
私は振り返ってみると、新芽ばかりを見守る人生を歩んできたように思います。保育に関わる仕事というのは、新芽を見守ることです。この先、どのようにそれぞれの木に成長していくのかを見守るのです。
屋久島の母樹や、私の故郷にある楠や杉のご神木のように季節を廻ってもまだ存在し新芽を見守り続けているものがあります。どのように見てきたのでしょうか。何度も同じように秋を体験し、冬の時代を耐えたのでしょう。時に強風で枝が折れ、またある時には腐り枯れたこともあるのでしょう。
大地に根をはる強さゆえに、地球そのものの意思を持っているのかもしれません。
その点、私は夢半ば、挫折はしていませんが忍耐と葛藤の煩悶と歓喜の充実の日々です。何が子どものためにもっとも善いことか、童心と道心を掛け合わせながら暮らしフルネスという実践をしながらこの地に根をはっています。
何が一番長く、そして知恵を伝承させうるか。地球の知恵から離れずに如何に文明と折り合いをつけていくか。まだまだ答えはみえませんが、自分の答えは生きていきます。
秋の風景を観ながら、綴っていきましたが今は秋を味わいたいと思います。