やまとの徳

大和魂と大和心というものがあります。他にも大和のイメージとして大和なでしこというものもあります。もともとこの「大和」という字は、元明天皇のときに倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるようになったといいます。

この「やまと」は、地名であったという説があります。世界には、その地名がそのまま国の名前になったというのは数多くあるものです。山の在る処、山の門などもやまとと呼びます。邪馬台国というのも中国語の当て字です。やまとこくとしたのが当て字になります。日本は、もともとやまとが倭になりそれが和となりクニが纏まり大和となったということでしょう。

ではこの「やまと」にあった原初の心や魂とは何かということです。

和歌を調べていくと、日本人の心を詠んだ言霊から古来のやまとの心を洞察していくこともできます。平安時代には和魂漢才といって、中国から漢字が入ってきました。外国文化が入ってくる中で、もともと「やまと」は何かということもはっきりしてきたのでしょう。そして明治に入り、和魂洋才となりました。しかし和魂というものが戦争に使われ洋魂に対して和魂になっていきました。

本来の和魂とは何かということ、自分たちのルーツを知ることはとても大切でそれが根と繋がり養分をいただき杜となります。

私なりにやまと魂ややまと心を直観してみました。

私がやまとと感じるものは、童心です。子ども心のことです。赤ちゃんの赤心のことです。やまとなでしこというものもまた、自然の中で可憐にかわいい存在、なでしこの花というのはイメージも合います。

そして純粋で素直、子どものような無邪気で自然に親しい愛くるし存在です。そういう心を持っている、その魂を受け継いでいるというのが私は「やまと」だと思っています。

人間が成熟していくというのは、知識を学び規律正しく理性を帯びた文明人になるというイメージがあります。しかし本来の成熟とは、赤ちゃんのままで大人になることをいうと私は思っています。つまり赤心や童心を忘れずに、素直なままで謙虚に生きていく大人になるということです。

やまとは、私たちの心の故郷でもあります。

私なりに、やまとの徳を磨いてその真心を顕現させ子孫へと伝承していきたいと思います。