古代の心

先日、ある方からハワイのアロハの意味を聴く機会がありました。少し調べてみると、これは単に挨拶の言葉ではなく古代ポリネシアの深い思想が込められているものであることが様々に紹介されています。

確かに一つの言葉に一つの意味であるものはほとんどありません。私たちの心は複雑で深く、ありとあらゆるものはその言葉だけではなく五感で理解し合えます。

思いやりや真心というものもまた、深い思想が入ったものです。私たちは言葉を便利に道具として使うようになってからあまり言葉そのものを大切にすることがなくなってきました。古代のポリネシア人たちは、言葉そのものをとても大切に使ってきたことがここからもわかります。正直であること、素直であることは、言葉を大切にしていくことです。これは生き方のことであろうと思います。

日本にも、有難うなどの言葉があります。

これは奇跡のようなこと、滅多にはない貴重なこと、それだけあり得ないほどの偶然をいただいたという意味にもなります。当たり前ではないよという心のことです。

私たちは本当に偉大な御恩をいただいているなかで、それをどれだけ当たり前ではないかということに気づけるかということを思います。別の言い方では、足るを知る心であり、感謝を磨いていく生き方です。

仏教の影響を受け、その他にもご縁も同じようにあり得ないほどの結びということです。それもまた感謝の心です。私たちが手を合わせて合掌をするのも、ご縁や有難いものへの心を示しています。

挨拶というものもまた、本来はその生き方の交流であり日々にどうありたいかというお互いの心の姿勢を顕しているものです。そうやって魂を通わせることで、同じ生き方をしていこうとする同志、仲間であるということもわかります。

生き方を同じくするものたちが自分への自戒を持ち、お互いに接していく。見返りを求めずに徳を積み、磨き合う関係としてのつながりや結びつき。永遠の平和を保ち、感謝のなかで仕合せであることを優先する古代の心が観えてきます。

今は第三次世界大戦の真っただ中に入っています。だからこそ原点回帰して、古代の心から学び直していきたいと思います。

子どもたちに希望を譲り、未来を古代の歴史の徳が伝承されるように学び続けていきたいと思います。