心を見つめる

生きていると、物事の終わりや節目に出会うことがたくさんあります。それは人との節目だけではなく、物との節目、物事との節目です。特に終わりをみるとき、寂しさや悲しさ、感謝があり同時に新しいはじまり、受け継がれる志、活かされ続けることなどもです。

私の周りには、別の形で活かされている人も物も物事も溢れています。終わってからはじまった生がたくさんあります。これは主観ですが、自分が生死の別を感じているのです。

しかしあるものは、カタチが消えても心の中に生き続けるというもので残るものがあります。もしくは形は遺っても心が隠れてしまっているものもあります。

私はそういうものをみるとき、手で触ります。この手で触るというのは、心で触れるということです。心で触れていると、深い味わいに触れていきます。その中でも、自分が受け取れるもの、活かせるものだけを選別するのです。

この世は、有形無形、生死をはじめ出ては消え、泡のようなものです。しかし、その根本の粒子にまで意識を合わせればすべてはつながっています。意識がつながっているように物も人も、物事もつながっています。それが形を換えては集合体になり生きています、そしてまた粒子になり別々になり時を経てご縁が結ばれいつかまた集合体になります。

その過程で、私たちは慈しみや愛というものを学び成長します。厳しさや真心などもです。道は永遠に続いていますが、そこには遠大な真心が働きます。その心の一端もまた粒子の集合体です。

自分の心の状態は手に顕れます。自分はこの手で一体何をしようとするのか。その手は何を感じたのか、心は手と結ばれています。心のお手入れというのは、心を見つめるということと同義です。

子どもたちは、私たちの粒子の集合体がつながったものです。後を託すものたちのために、どのような時代にするのかは私たちの責任です。ゴミだらけのものにするのか、宝だらけのものにするのかも私たちの意識次第です。

私の役割を見つめて、日々に石に水を落としていきたいと思います。