ありのままの自分というもの、今、学んでいるものをそのままにさらけ出していくのは自分の心のままに素直であることの証でもあります。それを誰かに見せなくても自分自身のことは自分自身が分かっているからこそ向き合う中で対話を続けます。
比較というものがある御蔭で自分というもののこともわかります。しかし比較しないところで自分の素直な心を知ることは、自分を掘り下げていくことができます。人は教師と反面教師、そして自分自身という教師がいます。あらゆる教師の言葉や行動、態度を見せてもらえるのは有難いことで自分がその中から与えてくださったことを吟味して学び直していきます。
どんなことも学びの糧にしていくというのは、生きる姿勢でもあり知行合一に歩んでいこうと決めたなら根気強く体験から気づいたことを一つ一つ学んでいくことです。
自分が本心からこうしたい、こうありたいという志があります。
その志を保つのは至難のことであらゆる影響を受けては、その志が試されます。つまり試練という錬磨です。錬磨は、研ぎ澄まされていくように砥石によって磨かれます。
この磨いていくというのは、体験や出会い、そして受け容れていくことによって光ります。まるで古い古材を、蜜蝋で磨き上げていくように、あるいは掃除をして場を清めていくかのように丁寧に片づけて元の状態に戻して余韻から自己の本心と初志に耳を深く静に傾けていくことに似ています。
人生は、自分というものとの同行二人の旅路であり道でもあります。
道を歩んでいくなかで他人の道に心を揺さぶられるのも、迷いなく自分の道を歩んでいくための試練です。自分の道を与えられたただ一本の道統を守ることが仕合せであり感謝の源です。
日々のご縁に深く感謝して、日々の精進を楽しみたいと思います。