真の大和人

人には誰にも故郷というものがあります。この故郷は、物理的な故郷もあれば心の故郷といったものもあります。しかしその二つは分かれているものではありません。私たちは地球の中にいてこの大地の上に生きています。だからこそその風土につながり根差して徳や養分をいただき生かされています。

かつては、世界中を移動しあらゆるところで生活を営んできました。気候変動や大陸の移動、また或いは惑星の移動をふくめ私たちの生命というものはその風土に適合し、その風土のいのちとつながり生きてきました。

生きてきた証拠に私たちには歴史があります。

私たちの人生の感情の中にも歴史は生きていますし、志とも共に歴史は生きます。途絶えたことがなく、故郷の中に歴史はあり続けています。一時的に、自分のことだけを考えるようになって忘れていてもふとした時に必ず故郷を思い出します。それが歴史がある証拠であり今を感じる実感でもあります。

例えば、山というものがあります。私は縁あって霊峰といわれる英彦山(日子の山)に関わることになりましたが御蔭様で故郷の風景や景色が甦ってきました。ここには、今につながる先祖たちの天命の元があり今を生きる私たちの原因、原点を持っています。

今の日本、そして日本人というものがどのように形成されてきたのか。その原初の価値観の元があります。文字では遺っていなくても、場所や風景、そして遺跡や文化、その土地の伝承や人々の間に今も徳として歴史が続いています。

その歴史をお手入れすることで、私たちは先人と繋がり直し網の目のように結ばれている歴史の正体を実感しなおします。神話、神代からどのようなことを繰り返してきたか。そしてその理由や原因を知ることで、自分たちの今、そして真の自己を形成するものを同時に実感することができるのです。

それが本来の自由な境地であり、偉大な存在の一部である自己との邂逅になります。

歴史はそのままにしておけば、過ぎ去った過去のように遺物となります。しかしちゃんとお手入れをし続けている人がいれば永遠に生きものとしていのちが輝き続けます。私が甦生をするのは、お手入れによってです。失われているようで、実は月が暗闇になるように陰で隠れただけでいつまでもそこに存在します。

新月から満月になっていくように、みんなで歴史をお手入れすれば元の月を眺めることができるようになります。美しい月は、美しい人々を育てます。これからの子どもたちにも真の地球人、そして調和を司る真の大和人になってほしいと祈ります。

この取り組みは、まさに徳積みの醍醐味、天に誠実であることです。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

そういう人たちこそ、歴史を愛し歴史に愛される人だと私は思います。

この初心から、今を磨いていきたいと思います。