真の欲

「大欲は無欲に似たり」という諺があります。故事ことわざ辞典を調べると「これは大きな望みをもつ者は、小さな利益など問題にしないから、一見して欲がないのではないかと思われることをいい、あるいは逆に、欲の深い人間は、欲深が災いして、一銭の利益も得られない結果になることにたとえる。」とあります。

同じ似たものに、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」というものがあります。これは西郷隆盛によく例えられるものです。その西郷は、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」とし、敬天愛人という言葉を実践します。

天を相手にする人は、次第に大欲となりそして無私の人になっていくのでしょう。人間には我があり、その我によって自利や利己心にのまれます。本来の自分の誇りを忘れ、他人軸の自信にしがみつくと気が付くと大欲が強欲になり執着に陥るものです。

果たして今やっていることは自分がやったことなのか、それとも偉大な存在によって守られてやらせていただいたものか。自分という小我ではなく、自己という大我に気づくことで万物を自然界のように活かすことができるようにも思います。

そういう意味でも、日々の修養は己克の実践の連続なのでしょう。どれだけ自然のように万物を活かそう、みんなを喜ばせようと思って実践しているかが欲も活かすということになるのでしょう。

そう考えてみると、欲というものは単に善悪良否などはありません。これは自然に万物は活かそうとするということを意味します。私たちは本能があり、この身体を活かそうとします。そして心があり先人からの遺志や真心を守ろうとします。これも一つの欲です。豊かになりたい、仕合せになりたいというものも一つの欲。だからこそ、そこから大志を抱いて大欲にし、徳に報いたいというところまで昇華させていく必要を感じます。

最後に、「推倒一世之智勇 開拓萬古之心胸」という言葉があります。これは南宋の儒学者、陳龍川の言葉です。西郷隆盛の座右でもあります。この和訳は、「一世の智勇などは払いのけ、万世の人々の心まで拓くことだ」となります。私の意訳では、この一生のなかで、他人の評価や褒められたりすることなどは押しのけ張り倒せ、それよりも普遍的で永遠なことに人生を貫き、古の聖人たちと同じ志で生きよという意味だと感じています。

つまりは、天を相手にせよ、徳を相手にせよ、聖人たちと同じ道を同じ心で実践せよという励ましの言葉であり惑わされないように、迷わないようにと真心や至誠で見守っている言葉です。

これは本当に励みになる言葉です。

欲をみて悲しくなるのも小さくなるのも情けなくなるものまだまだその境地に達せていないとし、自己を励まし、自己を錬磨し、境地の体得にむけて日々を丁寧に取り組んでいきたいと思います。