場の貢献

昨日は、理念経営を実践されておられる企業で一円対話を実施させていただくご縁がありました。いつも一円対話で聴福人を実践させていただくと有難い聴き、気づき、学ぶ貴重な時間も同時にいただくことができます。何のためにやるのか、どうありたいかなど、生き方や働き方をお聴きできることでその企業が何を目的に今、どのような人たちが集まりどう取り組んで正対しているのかも深く感じ取ることができます。

理念経営を真摯に実践されている方々のお話をお聴きすると、私たちも同じように取り組んでいるからこそ課題を共有でき、また尊敬し合うこともでき、そこに集まる温かく思いやりのある場を感じられます。こういうお時間を持てるということが何よりも仕合せと豊かさがあり、それぞれの人生のなかで道を学び、道を味わうことは自他のいのちが元氣になる原動力にもなります。

本来、人間としてもっとも深く厚い動機付けというものは、お互いの実践から学び気づき、それを改善しながらその意味を味わうときに行われていくものです。人間は一人で生きているのではなく、ご縁と共に見守り合いながら道を歩みます。これがよかった、これはやり直そう、これは一緒にやろう、そういう仲間や同志との邂逅がいのちを甦生させ生き続けるのです。自然の好循環というものは、心との対話、そのあるがままの素直なリズムによって廻ります。一円対話には、その自然と人間の中心を活かす水車のような役割があると私は信じています。

こういう一円対話の機会を得て内省していてよく直観するのは、「絶妙な場のタイミング」というものです。別の言い方では「今が一番その時に相応しいという時機」のことです。人も企業も生き物です。いくら食べ物が豊富に贅沢に用意されてもお腹が空いていなければ食べれません。どんなに楽しい娯楽が用意されても寝不足や病気なら遊べません。これは当たり前のことですが、その時機時機にもっとも相応しいことが来ていると実感する中に的を得ることがあります。それも最善観というものの道理の側面であると私は感じます。

そしてこの時機というのは、不思議なもので一人一人にも絶妙な時機がありその場その場にも最善の時機があります。だからこそ、すべてから丁寧に聴き、すべてに一理あると聴くことでその時機が円満になっていくように思うのです。時機を自ら決めず、時機に決めさせるというもの。古語に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ともいいますがこのような境地に達するかもしれません。

そして私はよく「正しいよりも楽しい方」をということをよく話します。楽しい方とは、お互いを尊重しみんなで一緒に道を歩み取り組む喜びを大切にしていくということでもあります。それが自然に正しくなっていくのは、それぞれの話を聴いて尊重し合い尊敬しあう「和」が場に醸成されるからです。これが見守り合いという知恵であり、日本古来からある「衆智を集める」という伝統伝家の宝刀です。

人間、企業、国家などそれぞれに上下があり、優劣があるわけではなく、お互いにしかできないことでお互いを活かしあうことが真の場の貢献でもあります。この先、どのような未来が循環していくのかワクワクする一日になりました。

今年最初のお志事の一期一会とご縁に深く感謝しています。