私たちは、日々あらゆるものに包まれています。例えば、重力や引力、他にも温度や水、光、音、色、様々な関係性や愛情などもです。温度でいえば、今日は寒波が来て全体が冷気に包まれています。すべての物体は、冷やされています。私だけでなく、この家、部屋あらゆるものは同時に冷えています。これは冷えに包まれているということです。他にも重力や引力はこの地球にいればすべての物はそれに包まれます。重たいと感じるというのは、その重たさの正体に包まれているのです。
日頃当たり前になって感じないものでも、私たちは包まれてそれを感じることによって私たちの実体を確認できます。私たちが実体と思っているものは、様々なものに包まれているものです。包まれているものを一つ一つ、解体していけばその中心はどうなっているでしょうか。空とはそういうものかもしれません。
夜になれば夜に包まれ、朝になれば朝に包まれる。今、自分が何に包まれているかを知れば自分を守ってくださっている存在に気づけるものです。両親の真心というものもあれば、愛する人や家族の思いやりなどもあります。友人たちの心配もあれば、一緒に生きている仲間や同僚などもあります。みんなが包み合っているなかに自分があると思える時、人間は本来の包まれる感覚を保つことができるように思います。
この包まれる感覚というのは、いのちの感覚です。
いのちは、包む側にあって包まれる側はそれを体験することで味わうことができます。日ごろ包まれているものを感じるのは、それを失ったときにすぐにわかります。当たり前ではない偉大なものに包まれていたと気づくのです。その余韻は、ずっと残ります。たとえ、物体としてのカタチを終えてもです。
つまり人の正体、この世の本体は何か、それはいのちに包まれているということでしょう。同時に、自分もいのちを包んでいくということでしょう。このいのちの包み合いによって私たちはいのちそのものを実感できる仕組みになっているのです。
子どもたちが永遠にいのちの循環を深く愛し信じることができるように、私たち人類の初心を伝承していきたいと思います。