私たちは徳というものの本体を理解するのに、色々な徳の姿があることに気づくものです。簡単に言えば、浅いものから広いもの、深いものから篤いものまでいくつもあります。それは自分が何の徳に感応しているのかで異なってきます。その徳への気づきこそが仕合せへの気づきになり、器としての喜びになります。
カグヤでは、もう何年も前から「徳の宝」という取り組みをしてきました。今でも毎月、必ず一度はみんなで集まり徳の宝を発表して徳に感謝しています。
思い返せば最初は、自分が何かしてもらったことや、自分にメリットがあることを宝のように感じて発表していましたがそれが次第に存在の有難さや見守りへの恩恵、ご縁やつながりの方がほとんどになってきます。つまり徳に気づける意識が醸成されて、日ごろから徳の中に存在していることに気づける意識になっていったという具合です。
また誰がというよりも、その伝承や実践、行いに意識が向くようになります。自分に対してや相手に対してよりも、その行為の尊さに気づけるようになってきます。仕合せに気づける感性が研ぎ澄まされみんなで豊かになります。
私が目指している徳の世というものは、この徳の初心伝承することによって実現します。
それぞれが自らに備わっている徳に気づけば、無理に個性とか自立とか結果とか比較とかをすることはありません。自らに与えられている徳に気づき、その徳を伝承していれば仕合せを感じます。みんながそうやって自分に具わっている、そして世界すべて、この世のすべてを包んでいる徳と共に生きていると気づくことで自然の生き物のようにいのちの一部になり循環を味わえるのです。
存在への感謝というのは、徳の感性を磨くことで味わう深くもなります。幸福感や喜び、そして仕合せというのはいつも徳と共にあるのです。
徳の世を目指し、さらに初心伝承の仕組みを創造していきます。