自然というのは毎日変化しています。変化しないものはありません。人間はあまりにも人工的なところに甘んじていくと、変化することを避けるようになるものです。例えば、都会にいけば冷暖房も完備され、大きなビルなどは総合空調です。毎日、建物の中に入ればいつもの温度でいつもの部屋、ビルに入っている飲食店も季節感などはなくずっと同じメニューです。そこに変化はほとんどなく、たまに何かお店が入ったり、人が変わったりすれば変化したと思うくらいです。
このような状況の中で日々を過ごしていると、変化しないことの方が当たり前になっていきます。先ほどのビルの総合空調であれば、温度が少しでも寒いとビル管理に連絡して寒いので温度をあげてと連絡します。昨日と比べて少しでも異なったことが変化ということになるのです。つまり人間は、自分の設定したいつもの状態であることの方が当たり前となってしまうとそうではないことがおかしなことになっているということです。
しかし自然界を観ていたらどうなっているのか、毎日、気候も温度もすべての自然物たちは季節の巡りで変化していきます。特に今の時機は三寒四温で日々に寒暖の変化が激しく、また植物たちも次々と芽生えてきています。その季節の巡りにあわせていこうとすると、毎日が変化です。常に変化する方が自然で当たり前になっているから、その状態に自分を合わせていくことの方が当たり前なのです。
この当たり前の違いというものが、自分の意識にとても大きな変化をつくります。人工的なものが当たり前の常識と、自然的なものが当たり前の常識とでは使っている感覚が異なるからです。前者は脳みそで少し考えて対応すれば終わりですが、後者は全身全霊と感覚を駆使しなければなりません。前者は変化しなくても済みますが、後者は常に変化でいないといけません。
生きる力というものは本来、地球で生き残る力です。大きな災害があったり、あらゆる自然の猛威のなかでも子孫へとつなげていく必要があります。それが世代の使命の一つです。
今の時代は、人工的な環境をつくり変化を止めてあらゆる生き物たちが絶滅しています。人間には都合のよい環境でしょうが、自然にとっては生きていけない変化しない環境を与えられます。自然と共に生き残ろうと選択してきたからこそ、人間の人工化に適応できないのです。
この先人類はどうなっていくのでしょうか。
子どもたちのことを思うと、変化することの大切さを真の意味で学ぶ場が必要だと感じます。私が暮らしフルネスに取り組むのもまた、その理由もあります。そして生き残るというのは実は仕合せになるということに似ています。ただ生きるのではなく、変化と共に生きることの仕合せがあるのです。全身全霊の感覚を使うことはいのちの充実でもあります。そうやっていのちが結ばれつながり地球と共にあるという安心感は格別であり唯一無二のこの世の楽園です。
子どもたちのためにも引き続き、人類の甦生に取り組んでいきたいと思います。