地上の楽園

自然界に限らず、すべてのものはご縁でできています。どんな小さないのちですら、それぞ辿れば全体のいのちと繋がっています。この世につながっていないものなどは何一つ存在せず、いのちは網のように網羅されています。老子の天網恢恢疎にして漏らさずです。

そして繋がっているからこそ関係性があります。自分の日々の息ですら、全体と結ばれていますからどのような呼吸をしているかに至るまであらゆるいのちと循環をしているということになります。

そしてそれは、目にはみえなくても波動や音なども同様です。耳を澄ませば、あらゆる音が包んでいますし皮膚感覚を研ぎ澄ませば気配や風を感じるものです。この風もまた宇宙を循環しています。

循環しているというのはいのちが途切れないという言い方もできます。どのいのちも形を換えては別のいのちとなって循環し続ける。これは伝統や伝承も同じで、それぞれに寿命を大切にして共生して残ります。そしてその心は、いつまでも一緒にいのちを分け合っていきたいという根源的ないのりとも結ばれています。

私達が呼んでいるこの地上の楽園というのは、いのちが調和している場所のことをいいます。不思議な世界ですが、いのちは分け合うときつながりが満たされ独占しようとするときにいのちは失われていきます。独占というのは、いのちの存在とのつながりや結びつきを分断していくことに似ています。そもそも分断されることはないのですが、分断している意識になるということです。分断は分類からはじまります。人間の尺度で何かを分類するとき、一方的に分別します。その分別があることでいのちを脳で認識していのちがない物のように便利な道具にしていきます。言い換えれば、生きているいのちは不便で死んでいるものは便利だということでもあります。配慮がいらない人間都合でという言い方もあります。

この世はいのちが繋がっているから本来は不便な世界です。しかしその不便な世界だからこそこの世の楽園と呼ばれるものです。便利か不便かではなく、今日も感謝でそのものの労苦を労ったり、存在そのものに感謝できたりすることで分類や分断を結び直していくことで仕合せも充ちていきます。

暮らしフルネスは、いのちの結び直しでもあります。色々ないのちのご縁と真心で結び直していきたいと思います。