心の幸福

家には鶏をはじめ犬や畑の作物など一緒に生きている家族がいます。もちろん人間の家族もですが、一緒に生きていると自分の予定を変えてでも共にお世話をし合います。お互いにいのちを分け合い、同じ場所で同じ時を生きる。そういう支え合い助け合う中に、仕合せがあるものです。

人間の幸福とは、心の幸福の方をいいます。物質的な幸福は確かにありますがそれは長続きしません。しかも死んでしまえば物は手放していくものです。死んで持っていけませんから持っていけるものは心の豊かさと仕合せです。

心はいろいろなものを感受します。美しい思い出、楽しい思い出、時には奇跡の思い出、豊かさに溢れているものです。その心を如何に充足させていくか、それは足るを知る心からはじまります。

この充たされているというのは、充分に足りているということです。言い換えれば、自分に相応しいものはすべて足りているという気持ちです。つい生きていたら、他人と比べたり、未来を不安がり足りない方、ないものねだりを繰り返します。特に、現代のような資本主義の競争社会の通念で場ができていますから油断をするとすぐに足るを知らないであくせくと経済活動ばかりを優先してしまうものです。もちろん、みんなで生きているのを広げていけばこの世の人たちは同じ時代を生きる家族ですから家族のためにお世話し合うのは当たり前のことでもあります。

味わい深い今、奇跡のような時間を生きる私たちはこの地上の楽園でどう過ごしていくかを決められます。速度ばかりを早めては、結果を追い求め、不平不満ばかりを解決しようと躍起になる。そういう日々を過ごしていたら心の幸福は置き去りになっていくものです。

子どもの仕合せを考えるとき、もっとも子どもに与えられるものは何かということを考えることがあります。それは心の幸福ではないか、そう思うのです。そのためには、その子どもの周辺の大人たちがどのような生き方をしているか、果たして今どれくらい幸福で生きているのかを見つめ直す必要も感じています。

忙しいことを挨拶のように使うのではなく、仕合せであることを挨拶のように使う世の中にしていきたいものです。私も日々に社会通念との折り合いでなかなかそう簡単にはいきませんが、暮らしフルネスを通して自己を磨き、真の豊かさの意味を伝承していきたいと思います。