命の経済と徳の循環する経済

ジャックアタリ氏という人物がいます。この方は、1943年、アルジェリアの首都アルジェ生まれで思想家、経済学者、文筆家と言われます。具体的にはフランスのミッテラン元大統領の経済顧問を務めた後、欧州復興開発銀行の初代総裁、経済成長に関する仏政府委員会委員長などを歴任されています。

最近、「レコノミー・ド・ラ・ビー(命の経済)」という著書が出て早速購入してみました。すると、私の目指している徳積循環経済や暮らしフルネスに近いことが書かれていて驚きました。

知の巨人による近未来の予測は、現実的には歴史に則ったもののように私は思います。ジャックアタリ氏も、利己主義がつくりあげた経済ではなく利他的なものが必要ではないかと、私は二元論は嫌いなのですが敢えて両輪という言い方をし、片方だけではなく同時にもう片方の車輪をまわしていく必要性を実践で伝えています。

ジャックアタリ氏の命の経済にはこういう文があります。

「私が今後の世界で鍵となると考えるのが「利他主義」だ。他人のために尽くすことが、めぐりめぐって結局は自らの利益になる。例えばマスクを考えてみよう。他人を感染から守るために着けるが、同様に他人も着ければ自分の身を守ることにつながる。「利己的な利他主義」の好例だ。自らに利益がなければ、人は利他的になりにくい。外出制限は利他主義の対極にある。自己の中に閉じこもるだけの愚策であり、経済危機も引き起こした。パンデミック後の世界は他者としての将来世代の利益を考慮しなければならない。何が将来世代にとって重要なのか。政治家らも考える時だ。人類の安全保障や将来のため、生活のあり方や思考法を変えて「命の経済」に向かわなければならない。新型ウイルスに限らず、気候変動による危機なども叫ばれる中、国際社会には総力を挙げた取り組みが求められている。」

言い換えれば、もっと子孫のための経済をつくろうということです。縦の糸のことです。本来は、縦軸という連綿と続いてきた人類が最初からずっと大切にしてきた徳の循環があってその中に横軸としての地球規模というものがあるということです。

利己的というのは、今の自分たちの世代のことしか考えず判断したり行動することです。それぞれ一人一人が、己に打ち克ち己を律するのは子どもたちや子孫のことがあるからです。

将来世代のことを思えば、自分たちはもう一度今の暮らしそのものを見つめ直す必要があると感じています。それが私の提唱する暮らしフルネスです。暮らしを変えていけば、おのずから生き方も変わります。暮らしは、人の生き方の顕現したものであり、どのような暮らしを続けるかは子孫に譲り残していきたい徳を積むことになります。

まさに今の時代は、誰かに依存したり特定のリーダーや国家に命を委ねるのではなく自らの命を自らが責任を持ち、いのちが喜び合うような社会づくりをみんなでできるところから実践していく必要を感じます。

暮らしフルネスの実践を使命感をもって取り組んでいきたいと思います。

場の伝承

むかしの遺跡に巡り会うとそこには色々な人たちの思いが結ばれている痕跡があります。かつての人がどんな思いを持ってその場に関わったのか、そこには物語があり歴史があります。

静かに思いをその場所に佇み、巡らせているとその場所から聴こえてくる音があります。この音こそ思いの本体であり、その音を聴くことによって人々は心が結ばれ調和していくようにも思います。

この音とは、物語でありその物語をどのような心境で聴いたかという生き方が顕現したものです。私たちは生きていると、手触り感というものを感じます。体がある感覚であり、それを触れるという感触です。いのちはこの感覚を通して生きていることの実感を得られます。物語というのは、まさにその感覚の集合体でありその物語に触れるときに人は感覚が目覚めるともいえます。

遺跡というものは、触れることによって目覚めていきます。教科書や本に書いているものをみても伝わってはきません。その場所にいき、お手入れをしてこそ感じられるものです。

そもそも修養するということや、修行をするというのもその場所によって磨かれるものです。その場所とご縁を結び、その場所から感得したものを共感し伝承していくなかで顕在化していきます。

その感性は、五感や第六感と呼ばれるものによって得られており知識ではなく知恵であることは自明の理です。

本来のあるべき姿、人々が何千年も前からどのように様々な知恵を伝承してきたか。その仕組みは、知恵を知恵のままに感受するものです。

子どもたちの未来のためにも、本来の伝道や伝承が知識にならないように実践を継承していきたいと思います。

加持祈祷

英彦山にご縁を得てから、信仰とのご縁が増えてきています。色々な僧侶をはじめ、修験道の修行をなさっている方にもお会いします。法螺貝のご縁も重なり、今まで知らなかったことが増えてきています。

加持祈祷にも触れる機会があり、先人の知恵や伝承に感謝するばかりです。もともとこの加持祈祷はインドの仏教から入ってきたものですが歴史の変遷もあります。

有名な護摩焚きも、もともとはインド由来です。この護摩は、サンスクリット語「ホーマ(homa)」の音写で、供物を火中に投げ入れて祈願する「焼施」がはじまりだといいます。バラモン教における炎の祭式が密教に取り入れられ、それが護摩法となっていきます。具体的には火炉に護摩木を積んで燃やして火中に五穀、五香などを投じ、香油を注いで供養することによって願主の願い事を達成していくといいます。

インドでは、様々な供物を燃やしていくのですが日本では護摩木が中心になります。護摩祈祷とも言いますが、真摯に祈りをささげる僧侶と一体になって智慧の炎に祈りを捧げます。加持祈祷を感じる儀式として今でも大切にされています。

この加持祈祷の 「加持」とはadhiṣṭhānaの訳で手印・真言呪・観想などの方法で加護を衆生に与えることをいいます。そして「祈祷」とは呪文を唱えて神仏に祈ることを意味するといいます。つまり祈祷は加持を得るためのものともいえます。

この加持祈祷の意味については空海が「即身成仏儀」の中でこう述べています。

「加持とは大日如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加と言い、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。すなわち、仏の慈悲の心は常に衆生に注がれているが、そのことを「加」と言い、信心深い人がその仏の慈悲の心をよく感じ取ることができることを「持」と言う。しかし私たちの心は、欲望・嫉妬心・間違った考え方(邪見)に覆われて、仏の慈悲心に気付かない。何も仏に限ったことではない。他人の優しい気持ちに気付かず、我儘な振る舞いをして、後で自分自身の至らなさに後悔する」

特に加持ができる信心深い方とともに、一緒一体になって真剣に祈りを捧げているうちに不思議な加護をいただいていることに気付ける。その加護に気づいたときに、我が省かれいのりそのものになっているという感覚でしょうか。

人間は色々な迷いや惑いがあり、そういうものを取り払い透明であればこの世のいのちそのものでいられるのでしょうが様々な欲がありますし、色々な関係性もありますからそう簡単には清々しい素直のままを保つことは難儀なものです。

しかしそういう自分であっても、何か偉大なものに守られているという感覚に気づけばおのずから感謝の気持ちに近づいていきます。与えられているものに素直に感謝できること、どんなものであってもそれは自分に相応しいと感じられること。当たり前のことに気付ける感性、それを私は徳といいますがその徳を磨くとき、人は人のありがたさを味わえるようにも思います。

加持祈祷は、あらゆる手段があります。皆さんが安心していのり、しあわせを感じられるように私は私の加持祈祷を実践していきたいと思います。

即興と甦生

私は場を研究し、実践するので即興であることが多くなります。この即興は、辞書をひくと「型にとらわれず自由に思うままに作り上げる、作り上げていく動きや演奏、またその手法のこと」をいいます。また音楽、詩作、舞踊、演劇などの分野では「事前の準備なく、その場で作り、その場で表現すること」を意図して使われるとあります。

これは常識やそれまでの通念よりもその「場」の持つ空氣を優先するということです。世間から常識知らずや刷り込みがないとかも言われ、時として誤解されて批判されることが多いのですがそれでも場からの声や、場が喜んでいるかどうかを優先していきます。

私が古民家甦生するときも、基本は常識に従って丁寧に甦生していきます。町家であれば町家、農家であれば農家のようにと最初は型かた入ります。そのあと、その家の歴史や立地、そしてそれまでの物語やご縁や関係性が出てくるなかでその家の独自性やその家の持つ初心のようなものをくみ取っていきます。その声に従いながら即興で工事や大工をしていきながら最後はその家そのもののいのちが循環するように調えて仕上げていきます。これは場を優先している私の甦生の特徴です。

先人たちの知恵を尊重しながらも、今はこうあったほうがいいというのができるのはその先人たちと同じ心を伝承しているからです。その心の伝承は純度が必要でどれくらい、本気の覚悟で先人とともに歩んでいるかということも問われます。

この時代に今も先人がそのまま生きているとしたら、どうするかということを突き詰めるのです。私が即興を重んじるのは、即興かそうではないかではなく先人ならどうするか、今、私も先人と同じならどのような決断をするかと正対していると次第に即興になり柔軟に判断していくことが増えるだけです。

時代は移ろい、本質もその時々で変化します。本質が変化するのは、それだけ全体快適であるか、どれだけの視野で決めるかが微細に左右されていくからです。最後は、純粋に穢れや曇りのない初心で決断していくしかありませんがその直感に頼るときまたそれが外から観たら即興に感じられるということでしょう。

自分の即興、直感は先人の真心とつながっていると信じてこれからも甦生に取り組んでいきたいと思います。

いつまでもご縁

人生は出会いと別れの連続で存在しています。生まれる前から出会いが始まり、死んでも別れは終わりません。常にご縁に生き、ご縁に死に、生死をめぐるご縁というものがあるだけです。そのご縁は、いろいろな理由をつけては関係性が結ばれますがある時には親子になり、またある時には夫婦になり、またある時には敵味方に分かれていきます。

その関係の中で、お互いに生き方を重ねながら学びあっていきます。学びあうというのは、成長しあうということでもあり一緒にご縁を磨きあっていのちを分け合っていきます。

このいのちの分け合いというのはご縁の本体でもあります。どのようにお互いのいのちを分けたのか、分け合ってきた歴史こそご縁の軌跡でもあります。その分け合ったいのちが、次の何のいのちに結ばれていくのか。それは出会い別れを繰り返しながらかたちを変えては循環していきます。このいのちの循環こそが、ご縁の素晴らしさであり奇跡です。

この今も、私たちは何かを食べ、そして飲み、空気を吸って吐いてはいのちを保っています。これも何かのご縁でそうなっていて、また私たちはそのいのちを分け合い新たないのちに甦生させています。

そもそも甦生というのは、いのちが循環することをいいます。私はいのちとしてそのものを感受し、そのいのちを新たないのちとして結び直すことを意識して暮らしを紡いでいます。本来、自然がわかるというのはこのいのちの道理や仕組みのままで存在しているということであり人間はそのとき、真の仕合せに気付けるように思います。

そしてそれを私は徳を積むとも定義しています。もともと存在するもの、そのいのちに感謝して新たないのちのご縁でいる。

いつまでもご縁であると思えば、この今のご縁を深く味わうことこそが人生の醍醐味であることに気づきます。子どもたちとのいのちのご縁がどうなっていくのか、とても楽しみです。

人類を見つめる

いよいよコロナのことが本格的に開け、終了したことになり世界では経済戦争に本格化してきました。国家という存在同士が、お互いの覇権をかけてそれぞれに同盟を組み、市場を争います。日本のかつての戦国時代のようです。今は、武器が発展しはるか遠くまでミサイルは届きます。飛行機も船も高速化され、武器の量や質、そしてテクノロジー、資源の有無が大きな影響を与えます。

経済は戦争に利用され、奪い合いがはじまります。持っている方、持たない方で激しい戦闘が行われまるで兵糧攻めのようにお金を使って行われます。限りある資源の奪い合うになるというのは予想していましたが、節約や倹約で世界でみんなで乗り越えようではなく誰が残りを独占できるかという風潮です。

ああ、これが戦争なのかと今の時代も変わっていない人間の業を感じます。そのためにいのちが理不尽に奪われ、人として悲しい出来事をたくさん見つめることになります。

戦国時代もこんな時代を終わらせるといい、それぞれの戦国武将たちが覇権を争い多くの血が流れました。農民たちは生活がよくなるというよりは、搾取される側としての大義名分に領地を安堵するというものがありました。あまり構造は今と変わっておらず、年貢を納めるから守られるのであって年貢が増えないと困るから領地を拡大していく。それの繰り返しです。

江戸時代になってそれぞれの統治がはじまりますが、貧しい藩と豊かな藩がでてきます。江戸幕府はいわば税金が入ってきますから、それで潤います。しかし資源が少ない日本では、みんなが倹約をして節約をしていかないとあっという間に国が貧しくなり飢饉や飢餓、疫病などになりますからその時代も統治は大変だったはずです。策国をしたり、殖産をはじめたり工夫をしていました。

何が言いたいかというと、結局どの時代を振り返り観察しても今も人類は自分というものを、それぞれが自己を修め、修養をし己に克つことによってしか平和を維持するしか方法はないということです。

一部の既得権益やエリートが引き起こすいざこざは国家という組織を守ることで保たれます。人類はどのように家族を守ってきたか、それは歴史に学べます。世界がつながり、色々な仕組みや智慧がそれぞれの地域や民族に遺っているかもしれません。そういうものを参考にして今一度、人類はどのようにすることが子孫のためになるか、そして末永く人類が生き残っていけるかをその時代の選手たちが真摯に語り合い実践し合うしかないと私は思います。

悠久の地球で、人類の争いはとても小さくみじめなものです。知識が増えてAIも誕生してきたからこそ、原点回帰を同時に考えていく時代だと思います。子どもたちのことを第一に考えて、みんなで最善を盡していけたらと思います。

形骸化と初心

人は自分で考えなくなると形にこだわっていくものです。形を残していくことばかりに囚われると、本質や根源的なものが形骸化していくものです。この形骸化という意味は、誕生・成立当時の意義や内容が失われたり忘れられたりして形ばかりのものになってしまうことをいいます。

なぜこうなるのかということです。

人は常に初心という何のためということ、つまり目的や意味、その本質を思い出すことによって原点回帰が必要になります。最初がどうだったかのかを思い出すということです。論語の大学にも、「物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば、則ち道に近し」とあります。常に物事には本末があり、それが結ばれている、繋がっている、言い換えれば物語があり存在するのです。

その物語を結び繋がっている人は形骸化することはありません。問題は、繋がっていたものを忘れ、結ばれていたものを切ってしまうことで初心が失われてしまうことです。

人間の体や脳みそは同じことを繰り返すことを自動で行うことができます。人間の体の構造のように、自律神経が働き色々と内臓や血液、心臓などそれぞれに指示して活動しています。人は忙しくてもなんとかなるのは、それだけ自動化されたことが勝手にやってくれているからです。これは日常生活の中でも同様です。忙しくてもなんとか生活ができるのは、自動化されているからです。

自動化の御蔭で大量の業務をこなせるので、確かに便利で有難い能力の一つです。しかし忙しいという字を書くように、心があまりにも多忙になると心はその忙しさに対してついていくことができません、すると、大量のことに対して心が処理ができず形だけになっていくのです。本来のカタチというのは、心と頭、感覚がすべて統合したものです。そこには今というものに、心も現実もすべてが繋がり結ばれている状態です。頭で処理してしまえば、それは本当の自然ではありません。自然というのは、一物全体、一心同体の状態でもあります。

便利にしていくというのは、心を使わなくてもいいということになってしまうと本末転倒するのは明らかです。心というのは、繋がりや結びつきのところでありいのちの本体でもあります。そのいのちを使う喜びや仕合せが私たちの生きる意味でもあります。

形骸化しないためにも、私は暮らしを調える必要を感じて暮らしフルネスを実践しています。

子どもたちがずっと数百年先も、幸福や真の豊かさを味わえる場を結べるように初心を忘れない取り組みや内省を磨いていきたいと思います。

英彦山伝説を忘れない

英彦山の創建は仏教公伝(538年)より前の531年開山は中国北魏の僧・善正上人と伝えられてます。修験道の始祖である役行者もこの地で修行したといわれ九州西国霊場を開いた法蓮上人を中興の祖とされてます。法蓮上人は宇佐神宮寺の初代別当を務め宇佐や国東に神仏一体の信仰を広めたことで知られその功績により嵯峨天皇より寺領40町と、勅願寺の称号を賜わりました英彦山は「日の御子」の在わす神聖な山として「日子の山」と呼ばれていましたが弘仁10年(819)嵯峨天皇により「彦山」と改称されました。その後、江戸時代になり霊元法皇の院宣により「英」の字をつけたといいます。古来から神の山と呼ばれた英彦山には英彦山伝説がありました。この英彦山伝説を備忘録として記します。

彦山は善正が山を開き、忍辱が後を継いで、神仏の教えを広めたが、そのあとを継ぐ者がなく、ながく荒れるにまかされていた。やがて、法蓮という僧が出て忍辱の教えを興したので衆徒は千人にのぼり、中興の祖といわれる。法蓮は宇佐氏で、宇佐郡小倉山で苦修連行し、兼ねて医術をおさめて多くの人びとの病気を直した。その徳風は文武天皇の耳にも達し、大宝三年(七〇三)に詔を発して法蓮の功績に対して豊前国の野四十町を賜った。(「続日本紀」にある)。

ところが、法蓮の真の願いはまだまだ大きく、このあたり一帯の人びとが豊かに暮らせることであった。そこで、如意宝珠を手に入れ、その力で広く生活に悩んでいる人びとを救おうと考えたのである。するとある夕方のこと、空中から声があって、日子山の窟に摩尼珠があり、神が出し惜しんで守っているが、熱心に求むれば得ることができるであろうという。法蓮は喜んで山中を回ると多聞窟というのがあった。守護神は毘沙門天の化身であり、福徳の名が四方に知られているので、そう名づけられたものである。窟の岩は光り輝き、木の枝はおもしろく、流れ出る水は円く流れて岩をうるおしている。

法蓮は、この窟の中に宝珠が必ずあるので、それを得ようと、一二年間一心に金剛般若経を読誦し、三所権現と八幡大神に祈願し続けた。それで、この窟を般若窟と呼ぶようになった。それより先、大宝元年(七〇一)八幡大神は唐に渡り三年経って帰って来たが、小倉山に登り地主神の北辰に対して「自分はここに住んで、あなたと一緒に人びとの利益をはかりたいが、どうだろう」とたずねた。北辰は承諾して「西方に山があって、その山の彦山権現は岩窟に玉を埋め、一方の金剛童子に守護させている。その玉を求めてきて、人びとを窮乏から救いなさい」ということであった。

八幡大神は彦山に向う途中、香春明神に会って相談した。すると香春明神は「岩窟の玉のことはよく知っている。今は法蓮という者が玉を得ようとして修行している。彼に頼みなさい」という。八幡神はさっそく老翁に化けて般若窟に出かけた。法蓮は老翁に会って、神の化身であることを知っていたが、「どこの人か」とたずねると、老翁は「近くの年寄りです。あなたの弟子にしていただきたくて来ました。しかも、あなたにお願いがあります。」と答えた。法蓮が「何ぞや」というと、老翁は「もしあなたが玉を手に入れたら私に下さい。他に何も望みません」というのである。法蓮はその願いを受け入れた。

法蓮と老翁はますます修行を積むと、予定の一二年にならないのに、霊蛇が玉を握り岩窟を破って現れ法蓮に与えた。法蓮は両手で衣の左袖をひろげて押しいただいた。この窟を玉屋というのはそれからのことである。それ以後この岩窟の穴からは、常に清水が湧き出て、どんな干天でもかれることはなく、体にひたせば病気は治り、飲めば寿命は延び、天下に異変があるときは必ず濁るというのである。

法蓮は、この玉を得たのは彦山権現の賜と考え、まず上宮に登り、次いで宇佐に行って神徳に感謝の意を表しようとした。二〇余町ばかり行くと、老翁がひざまずいて「宝珠を私にください」という。法蓮は与えるには惜しいと思う気持があり、ことわった。老翁は怒って「僧が約束を破るとは何事か」とののしったので、そこを師忘れ坂という。それでも法蓮は与えたくない。そこで老翁は法蓮に向かって、実際に与えなくてもよいから「お前にやる」といってくれと頼んだ。法蓮は黙っていることができなくなって「お前にやる」といったところが、玉が飛び出して老翁の手中に落ちた。

老翁は望みがかなえられたと、喜びいさんで走り去った。法蓮はたとえ神のすることでも玉を奪い返そうと決心し、はるか前方に向かって火印を結ぶと、猛火が四方より燃えあがり老翁は逃げるところがない。したがって、その地を焼尾という。ところが老翁は、空中に舞いあがって去った。法蓮もまた飛んで、下毛郡諌山郷猪山(大分県山国町)の頂上から、大声で老翁の悪口をいったので、その声は伊予国の石鎚山まで聞えた。さすがの老翁もこれには閉口し、金色のタカとなり、一匹の黄犬をつれて猪山まで引き返して来た。そしていうには、「私は八幡である。昔は三種の神器で万民を安らかに暮らせるようにしたが、神となった今では、この一つの玉で百王を守りたいので許してもらいたい。私がこの玉を得たら、宇佐宮に安置して地鎮とし、寺を建てて弥勒菩薩を祀り、あなたを寺の主にして恵を広くいつまでも続けたい」と述べた。法蓮も異存があるわけでなく、石の側に立って和解した。それで、その石を和典石という。

これから本格的に英彦山の法蓮上人の足跡を辿ってみようと思います。

音の時代、波動の時代、結びの甦生

昨日は、英彦山で仙人苦楽部がありました。屋久杉を琴にして宿坊で枝垂れ桜の音を調律していただきその音をみんなで拝聴しました。とても清々しい音がして、まるで枝垂れ桜が歌っているような感覚を得ることができました。音は、私たちがまだわからない不思議なものがあることを再実感するいい機会になりました。

そもそも音というのは、共鳴しています。何かの音を出せば、周囲の環境に呼応し反響があります。やまびこなども、山に法螺貝を吹けばその音が時間をかけて戻ってきますがあれも反響してくるものです。つまり、すべての音はそれぞれに音を共鳴する力がありそれが響き合いとして反応するということでもあります。

こちらの音に対して、あちらが音を反響する。そう考えてみると、これは関係性によって音が存在していることを意味します。量子力学と同じ原理で、音は関係性の中でお互いに音を聴き合って結ばれたときに音が出るということになります。

音は、また空気の中を通っていきます。そして水の中も通っていきます。つまりはこの水というものが音の触媒になっていることがわかります。私たちは水が音を通していると同時に、音が水の性質そのものと同一の結びがあるともいえます。

水の流れ、水の音を聴いているとなぜか癒されるのはその音の中に水の性質が宿り、その水の音を浴びることで私たちは体の中に流れ続けている水と共鳴するからかもしれません。

そしてこういう音のことを波動とも言います。波動は海の波のようですが、私たちは呼吸をするように波が往来しています。吸って吐くを繰り返しながら揺らぎます。この揺らぎが波動でもあり、波動はバランスよく微細に動くことでいのちを揺らします。この揺らしが、いのちの元氣を醸成し私たちは活動の原動力になっているようにも思います。

この揺らぎは、太陽の光の中にも電気の中にも、遠赤外線というものの中にも、あらゆるものに存在します。この揺らぎが研究されていけば、そのうち波動の原理や仕組みも解明されていくかもしれません。私たちは周波数を放っています。その周波数が重なりあうことで倍音というものが誕生します。その倍音が調うと、私たちの心は安心するものです。

勝手なことを書いていますが、これは私が経験から感じたものです。科学で証明されていくのは、時間の問題でこれから本格的に音の時代、波動の時代に入っていくように感じています。

目には観えない世界、頭では理解できないもの、そういう智慧に尊敬と尊重をするのは先人の偉大さ、そして宇宙や地球の徳に感謝する営みです。忘れてはならないものを思い出せるよう、そして古き懐かしきものが甦生を連鎖していくように甦生家としての私も真摯に役割を果たしていきたいと思います。

龍の徳

今朝がた、龍の夢を観ました。この龍は、想像上の生き物ですから私は実物は見たことがありません。なので夢の中の龍も水だけです。よく水墨画やアニメなどに描かれている蛇やワニのような姿ではなく私が観る龍はいつもその活動の余韻の方です。

例えば、今朝がたであれば龍が深い水の淵に潜んでいて水面に落ちたものを深く静かにゆっくりと吞み込んでいきます。すると、水が動き始め滑らかに緩やかに滑るように大きな揺らぎや流れをつくります。その水の流れ方が、まるで蛇のように蛇行しそしてぞっとするような静けさと佇まいを放ちます。まるで、とても大きなものが動いたような水の動きです。その時、私はそこに龍が潜んでいるのを直観するというものです。これは夢ですが、似たような経験を何度も深い池の淵や山間の溜池、大きな川の深いところで感じたことがあります。

この龍というのは、水の化身のようなものです。この時機は、七十二候では雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)に入ります。これは春雷のことです。この春雷を呼ぶのは何か、それは龍であるといわれます。

秋の終わり頃から冬の間、深い淵に潜んでいた龍が雲の上へとあがっていきます。春霞のうちにきっと天に昇ったのでしょう。そして雲の上で活動をし、雷をつくるのです、この雷は稲を助け、田んぼに豊作の兆しを導きます。そして田んぼを見守り秋になると、雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)となってまた水中に帰ってきます。

この水の運行をむかしの人たちは龍と呼んだようにも思います。水のカタチは一つではありません。雨だけでも千差万別の様相があり、霧や霞、そして川の流れ、滝、海に至るまでその姿は微細なものからダイナミックなものまであらゆる姿に変化していきます。

まさにその姿こそ龍の本体であり、その本体を人が直観するとき龍を観たとなったのではないかと私は思うのです。人間の身体も水が流れていますし、すべてのいのちは水が橋渡しをして結んでいきます。

4月1日ですから、エイプリルフールでもあるので今朝龍を観たといってもみんな笑って聞いてくれると思います。みんなの龍はどのような龍なのか、それぞれの龍をもつ人たちがその水の徳に感謝して偉大な龍の流れを味わっていけたらいいなと思います。

この日本に産まれ育ったこと、そして新たな一日になることに感謝しています。