音の時代、波動の時代、結びの甦生

昨日は、英彦山で仙人苦楽部がありました。屋久杉を琴にして宿坊で枝垂れ桜の音を調律していただきその音をみんなで拝聴しました。とても清々しい音がして、まるで枝垂れ桜が歌っているような感覚を得ることができました。音は、私たちがまだわからない不思議なものがあることを再実感するいい機会になりました。

そもそも音というのは、共鳴しています。何かの音を出せば、周囲の環境に呼応し反響があります。やまびこなども、山に法螺貝を吹けばその音が時間をかけて戻ってきますがあれも反響してくるものです。つまり、すべての音はそれぞれに音を共鳴する力がありそれが響き合いとして反応するということでもあります。

こちらの音に対して、あちらが音を反響する。そう考えてみると、これは関係性によって音が存在していることを意味します。量子力学と同じ原理で、音は関係性の中でお互いに音を聴き合って結ばれたときに音が出るということになります。

音は、また空気の中を通っていきます。そして水の中も通っていきます。つまりはこの水というものが音の触媒になっていることがわかります。私たちは水が音を通していると同時に、音が水の性質そのものと同一の結びがあるともいえます。

水の流れ、水の音を聴いているとなぜか癒されるのはその音の中に水の性質が宿り、その水の音を浴びることで私たちは体の中に流れ続けている水と共鳴するからかもしれません。

そしてこういう音のことを波動とも言います。波動は海の波のようですが、私たちは呼吸をするように波が往来しています。吸って吐くを繰り返しながら揺らぎます。この揺らぎが波動でもあり、波動はバランスよく微細に動くことでいのちを揺らします。この揺らしが、いのちの元氣を醸成し私たちは活動の原動力になっているようにも思います。

この揺らぎは、太陽の光の中にも電気の中にも、遠赤外線というものの中にも、あらゆるものに存在します。この揺らぎが研究されていけば、そのうち波動の原理や仕組みも解明されていくかもしれません。私たちは周波数を放っています。その周波数が重なりあうことで倍音というものが誕生します。その倍音が調うと、私たちの心は安心するものです。

勝手なことを書いていますが、これは私が経験から感じたものです。科学で証明されていくのは、時間の問題でこれから本格的に音の時代、波動の時代に入っていくように感じています。

目には観えない世界、頭では理解できないもの、そういう智慧に尊敬と尊重をするのは先人の偉大さ、そして宇宙や地球の徳に感謝する営みです。忘れてはならないものを思い出せるよう、そして古き懐かしきものが甦生を連鎖していくように甦生家としての私も真摯に役割を果たしていきたいと思います。