むかしの遺跡に巡り会うとそこには色々な人たちの思いが結ばれている痕跡があります。かつての人がどんな思いを持ってその場に関わったのか、そこには物語があり歴史があります。
静かに思いをその場所に佇み、巡らせているとその場所から聴こえてくる音があります。この音こそ思いの本体であり、その音を聴くことによって人々は心が結ばれ調和していくようにも思います。
この音とは、物語でありその物語をどのような心境で聴いたかという生き方が顕現したものです。私たちは生きていると、手触り感というものを感じます。体がある感覚であり、それを触れるという感触です。いのちはこの感覚を通して生きていることの実感を得られます。物語というのは、まさにその感覚の集合体でありその物語に触れるときに人は感覚が目覚めるともいえます。
遺跡というものは、触れることによって目覚めていきます。教科書や本に書いているものをみても伝わってはきません。その場所にいき、お手入れをしてこそ感じられるものです。
そもそも修養するということや、修行をするというのもその場所によって磨かれるものです。その場所とご縁を結び、その場所から感得したものを共感し伝承していくなかで顕在化していきます。
その感性は、五感や第六感と呼ばれるものによって得られており知識ではなく知恵であることは自明の理です。
本来のあるべき姿、人々が何千年も前からどのように様々な知恵を伝承してきたか。その仕組みは、知恵を知恵のままに感受するものです。
子どもたちの未来のためにも、本来の伝道や伝承が知識にならないように実践を継承していきたいと思います。