明治のころの有名な運動に廃仏毀釈運動というものがあります。この廃仏毀釈とは仏教関連の経典や仏像などを破壊し、仏教を排斥することを目的とした運動のことです。この「廃仏」は仏教に関係するものを破壊することを意味し、そして「毀釈」は仏教の教義を否定することです。この釈とはお釈迦のことでその教えを棄却するという意味を込め、廃仏棄釈とも表記するものです。
それまでの日本は神仏習合と神仏混淆という文化の歴史が続いていました。具体的には「神仏習合」は神棚と仏壇と一緒にお祀りして両方を祈るという風習。もう一つの「神仏混淆」は神域や仏域が分けられている聖域に神域には石仏、仏域には石神というのを混ぜ合わせてお祈りするという仕組みです。
つまり、神仏習合は別々のものを一緒に分け隔てなく祈るというものは多元的に八百万の神々だとしてどれも尊重しようという考え方。日本の伝統行事なども、あらゆる宗教や宗派のものでも大切に行われているのに似ています。しかし神仏混淆の方は、異なるものが区別なく入りまじるという考え方。これは混然一体になっているというもので、違いや区別すらもなく根源的なもの、まるで元のあるものに回帰するかのような中庸や中心に近いものです。
私が取り組んでいる甦生もまたこの混淆の方が近く、温故知新や一期一会のように今、此処に存在するものになってしまうというものです。
話を戻せば、明治のころは西洋に対抗するために江戸時代に強大になった仏教の勢力を削ぎ、神道を中心として国家を急ピッチでまとめようとしました。その仕組みは一つの宗教を国教とする西洋諸国の方法を真似て神道中心の体制づくりによって西洋諸国に肩を並べようとしました。それに日本にキリスト教など他の思想や価値観が入り込むのを避けようとしたとのいわれます。江戸時代の仕組みを壊すもっとも効果的でわかりやすかったものがこの廃仏毀釈だったのでしょう。今までのお寺の既得権益に怒っていた民衆や神官がこぞって運動してあっという間に仏教を否定していきました。同じころに神仏分離令も出て、神社から仏教的な要素を締め出し、寺の土地は没収され、神社にいる仏教僧は還俗(一般人に戻る)か神官になるか選ばせるというものですがこれが拡大解釈されてさらに運動は激化しました。
政府の思惑は失敗して、結果的にこのことで日本の伝統や歴史はことごとく壊されました。修験道やそのほかの民間信仰もまた一切を禁止されました。その後は、フェノロサや岡倉天心、そのほかの方々の活動があり信教の自由が保障されて復興していきます。
その際に、新たな宗教がたくさんうまれ信仰をそれぞれで甦生させていこうとする活動がはじまっていきます。しかし、戦後に西洋化が進みそれまでの日本の生活文化が激変して今に至っています。
この150年の間、日本人は何が起きたのかをあまり関心を持ちません。しかし歴史というのは本来は、途切れるものではなく常に縦軸の糸を横軸の糸で編み込んで存在しているものです。
見失っているものを甦生するには、もう一度、何が起きたのかを直視してそこから結い直す必要があると私は思います。
本来の姿は何を目指したのか、よく吟味し、自分の役割を果たしていきたいと思います。