宿坊の周囲は、大きな石がたくさん積まれています。梃子の原理を使い、少しずつ動かしていますが大変な労力です。今ではチェーンブロックなどの機械を使って石を動かすことができますがむかしの人たちはどのようにしてこれだけの大きな石を移動したり積み上げたりしたのでしょうか。
色々な想像力を働かせても、人数か特殊な道具、あるいは自然の仕組みの活用、宇宙人くらいしか思いつきません。石垣なども、もう数百年壊れずに今でも残っています。
いくつか自然災害で崩壊していますが、それをどのように元に戻せばいいのか。土木工事に頼んでも、同じような石組みをすることはできません。なぜできないか、それを考えてみると自然の仕組みに精通しなくなったからだと私は思います。
昔の人たちは、石垣の傍にどのような木を植えると石垣が壊れないか、そして水の流れをどのように活かせば石が保たれるか、それを自然の植生とバランスよく組み合わせているように思います。
逆に石垣を壊す石もあります。植物の根がどのように将来、生え広がっているのかも想像したのでしょう。また井戸さらいをしていますが、その井戸の場所や水の流れも申し分ないところに設置しています。池の家との関係や配置も、上手に水が溜まるところを敢えて池にして清々しさを保ち水が澱まないように工夫されています。
自然の仕組みをどれくらい観察したらここまで精通するのか、先祖たちは自然から学ぶことで知恵を獲得していたように思います。今の私たちは教科書や知識で様々なことをできるようになりました。しかしAIの到来で、それはAIが極めていくでしょう。しかし自然の知恵はどうでしょうか。私たちの身体は自然の一部です。自然を観察してきたことは、私たちの身体を観察してきたことと同じです。
どのように動かせばどのように活かせるか、そしてどのような循環をしているかを知り、どのように循環させていけば健康で長寿、仕合せに生きられるのか。そういうことを自ら自然に学んだのでしょう。
お山での暮らしは、自然の景色や知恵を身近に感じやすくなります。この知恵が自然のありよう、人間とのつながり方に新たな示唆を与えてくれます。
仙人の知恵は、全て自然から学んだのかもしれません。
子どもたちに仙人の暮らしから自然の大切さ、知恵を伝承していきたいと思います。