天命というものがあります。天命を感じるのはどういうときか。それは誰かの評価や価値観などを気にせずに、与えられた場所で自分の本当に好きなことに出会いその喜びを深く味わっているときに感じられるように思います。理由などなく、すべてをお任せして委ねている喜び。そして心がいっぱいにその今に充たされていきます。
なぜその光景が観たかったのか、なぜその景色に出会えると確信していたのか、あとになって考えてみると「そうしたかった」だけです。理由などは後付けですし、困難や不安や恐怖などは感じていてもどこ吹く風のように流れていくだけ。やっている最中には、ただ偉大な存在と一緒一体なっているという感覚。周囲の嫉妬や批判、差別やプレッシャーもそんな時に当てられてしまいますが、純度の極みのようなその状態に誰も止めることはできません。
そもそもさらによく考えてみると、子どもというのは本来はそういう存在ではないかと思います。子ども心に純粋にやりたいと思ったことを、そのまま思いきりやらせてあげること。それは天の命に素直であることです。そのやりたいことは、完璧にはできなくても今の時代ならこういうやり方があると環境を調えたり、周囲のことを考えて喜びになるのならこうやったらいいと仕組みを整えたりと、色々と大人は工夫するのです。
やってはいけないとそれぞれの天命を尊重しなくなったのなら、人間はその瞬間に仕合せを感じられず人間らしさを失っていくように思います。ある意味で、先人たちの声や子孫たちへと遺してくださった生きざまや言葉もまた天命を生きることの大切さを忘れないようにと伝承してきたものです。
子孫たちはその姿から未来を安心し、魂を発揮させて一度きりの地球の楽園での生を全うしたのでしょう。天命に生きる人はそれだけ仕合せですが、同時に周囲にも本来の仕合せを甦生していきます。
私は私の天命を歩んでいきたいと思います。