縄文の心

縄文のころの台所を甦生していますが、もともとの暮らしから見つめ直しています。そもそもその頃は、土の中で火と水と草や木々を上手に活かして暮らしを紡いでいました。土に何の力があり、火に何の力がありと、それぞれの持っている神秘性を感じながら組み合わせに感激し、不思議な力に感謝していたように思います。

現代では、火も水も当たり前に認識し、科学の力で便利に活用しています。しかしそれは物としてのあるいは、科学的なものとしての見え方であって神秘性を常に見ていたのではないように思うのです。

先人たちは便利ではない暮らしの中で、便利ではないものを観続けていました。その便利ではないものとは、不思議な力を持っているもののことです。不思議な力を観続けているなかで、自分に具わっている不思議ないのちにも感性が反応し続けていたように思います。

例えば、なぜ息を吸うのか、なぜ耳が聞こえるのか、なぜ排せつや涙がでるのかなどもです。それを知識として理解していたのではなく、神秘なものとして理解していたように思います。その神秘の理解は、次第にすべてのいのちが遠くからきて循環していたのに気づいたようにも思います。

なので男岩や女岩などの性器の形をした岩などをお祀りしますが、身体の一部にとても不思議な力が宿っていると直感したのです。

むかしは土にどのような力が宿ったと思ったのでしょうか。なぜ土の中でいのちが再生すると思ったのでしょうか。自然を観察していたからだとも思います。

今回の縄文キッチンから、その縄文の心を伝承していきたいと思います。