生き方を見守る教育

先日、国東半島で重光葵という人物のことを知りました。この方は日本の外交官で政治家の方ですが、戦後にこの人物がいなければ日本は公用語は英語になり通貨もドルを使うということになっていたともいいます。そう思うとぞっとします。

敗戦国として状況が悪い中でも、諦めずに日本の未来のためにと尽力された方です。本来、仕事だからや公務だからとかいわゆる職業的な政治家ではなく志を持ってその職に当たる人物が歴史を変えてきました。

そういう人物は生き方が徹底していて、常に覚悟を持って歩んでこられました。日本は運がいいことに、大事な局面でこういう人物がいた御蔭で今まで残ってきたともいえます。

そしてその人物たちに共通するのは、それぞれに素晴らしい教育を受けて育っているということです。その教育は、父母の生き方、天命を全うし徳を生ききることの大切さを説き、信じ切る教育です。そして子もまた、その親に孝行したいと願いながらも感謝を忘れずに自分の与えられた役割、志を貫遂させているということです。この重光葵さんの外交回想録には、父は大分の三浦梅園『贅語』と帆足万里を好んだ漢学の徒であったが「大いに英語を勉強するがよろしい」と言い聞かせていた。母は子どもの教育を片時も忘れる人ではなかった。「御用とあらば会わなくても心残りはない」が母の最期の言葉だった。重光は中国への赴任時に、「汝らの芝居は世界が舞台ぞと 老いたる父も笑みて送りぬ」という歌を詠んでいるとあります。両親の死に目にあえなくても、使命を全うするよう信じ切った親子の深い絆があります。

そして重光葵さんの別荘には「志四海」(向陽)という額が飾ってあったといいます。これは四海を志す。志が全世界を覆う。志を全世界に及ぼすという意味だそうです。

吉田松陰も同じような父母との話がありますし、立派な教育者の陰には常に立派な両親がいます。日本の教育の真の素晴らしさは、この「生き方」を優先し、それをどう成就させるかという見守りによります。つまり「生き方を見守る教育」ということです。

私は今、カグヤという会社を経営し、生き方と働き方を一致させ、生き方を優先しあい尊重しあう社会を目指し試行錯誤しています。時折、現代の価値観との相違から迷うこともありますがしかし子どもや子孫のことを思うとやはり日本のなつかしい教育をいつまでも伝承していきたいと思うのです。

引き続き、先人の生き方に倣い、徳に報いて今の自分を磨き上げていきたいと思います。