近代の歴史

先日から郷里の千人詣りという八十八か所霊場を甦生していますが、残りはあと2つを残すところまで見つけることができました。色々な場所を歩いていると、日頃は気づきもしない場所にひっそりと観音様がお祀りされています。

しかし今でも、参道をお手入れしていたりお花が供養されていたりとお世話をして場を調えてくださっている方もおられました。反対に鬱蒼として、誰もお詣りされていないような場所もありました。

お堂があるものもあり、そのお堂にはかつての千人詣りのときの白黒写真が飾ってありました。もう70年も、80年も前の写真ですがその当時の方々がみんなで春と秋に詣でて祈りを捧げていたことに思いを馳せると今の私たちにつながっている生きた歴史を感じます。

過去にあった出来事というものは、今の自分を形成していることは誰でもわかります。私たちが今あるのは、過去にどのようなご縁に出会い、そこで何を学び、何に気づいて、生き方を修養してきたかで人格が醸成されています。同様に、自分の故郷が今どのようになっているのかを深く知るには過去にどのようなご縁で何をしてきて今こうなったのかを辿ってみると気づき直すものです。

特に近代の歴史は、あまり語り継がれることもなく伝承も疎かになっています。西洋文明を取り入れ、まったくことなる教育を受けて育ってきたからかこの近代の歴史はなかなか直視されないものです。

しかし少し離れて観察すると、今までの日本の歴史の中でもっとも伝統や伝承、生き方や暮らし方が換えられた時代です。少しずつ、取り入れて調和するというものではなくほぼ別のものに入れ替えるような改変が行われたのもこの近代の歴史の特徴です。

入れ替えられた歴史を学び直し、もう一度、今までで日本の風土や文化に適した調和し醸成されたものを甦生しようというのが私の試みでもあります。子どもたちのためにと先祖が紡いできたもの、遺してきた徳を甦生させようとしているのです。

徳は消えているようで消えていません。この八十八か所霊場のように探せば、祈りと共に現存しています。あとは、古民家と同じくお手入れをして甦生させるだけです。

先人の恩徳に感謝して、丁寧に進めていきたいと思います。

自然との共生

英彦山は先週からの大雨で道が土砂に埋まり、ところどころアスファルトも削られ陥没して通行止めが続いています。守静坊への道も、川のようになり滝ができて道がえぐり取られてしまっています。それを大きな石や砂をかぶせては修繕していますが、自然の威力の前ではまた壊されるだろうと思いながら手入れをしています。

水の流れが変わってしまうと、そこに新しく川ができます。その川の流れるところに道があればその道は川になっていきます。道を維持するには、流れを変えるしかありません。そこで堤防をつくるのですが、最近の雨量はその堤防を簡単に超えてきます。

こうなってくるといくら高い堤防を築いても難しく、かえって堤防をこえたときにどうなるのかを考えて治水していくしかありません。治水を学ぶというのは、先人たちの知恵を学ぶことに似ています。先人はどのように治水をしてきたか、そこには自然への畏敬や感謝を忘れないものがあったように思います。

英彦山にはたくさんの巨石を含めた石があります。その石を上手に使い、水の流れを調えてきました。経験や先見の明から、水の流れをよく観察し山の状態をよく見極め、家を建ててきました。

今でこそ流域ということを言われますが、むかしの人たちは自然と共生するなかで自然にその全容を理解していたようにも思います。極端に言えば、身近な草花や石ころの配置、水の変化から宇宙を悟っていたのかもしれません。ミクロもマクロも表裏一体で、反観合一していましたから常に全体を俯瞰して見通していたのでしょう。

だからこそ風の流れが悪くなるようなものは立てなかったし、水の流れが滞るようなものもしなかったのでしょう。よく考えてみると、崩れたところを見つめているとそこはかつては別のものだったのがわかります。本来なかったものを、新たに近代になってつくったところや障害になったところが崩れているのです。本来の姿に近づこうとして崩れたともいえます。

人間は自然に精通していないと、かえって自然から大きなしっぺ返しが来ます。何が自然で何が不自然かがわかるということの方が、人間社会だけで立ち回ることよりも子孫のためによくなるようにも思います。

そういうものを徳としてむかしから大切にして伝承されてきたようにも思います。自然との共生の意味をこれからも伝承していきたいと思います。

 

偉大なものに委ねる生き方

むかしから分を超えたことを実現するとき、人は自分よりも偉大なものにいのちを委ねて取り組んできたともいえます。マザーテレサは「私はただ神の御手の中にある鉛筆です」という言い方されていたともいいます。そこまで自分を丸ごと信仰に委ねる境地によって人は偉大なものと一体になるのかもしれません。

歴史の偉人たちの生涯を読み解いていると、何か偉大なものと一体なって生きている人たちの生きざまがあります。主語は自分ではなく、主語は神様になっているのです。

例えば、地球が喜んでくれるか、いのちが仕合せであるかなども同じです。何を最も優先して生きていくかでその目的によって手段は無数に存在します。色々な人々がこの世にいるのは、その手段をそれぞれの持つ徳性や配置によっても変わってきます。

まったく別々のことをしているようであっても、実際には同じ目的で活動しているのだからそれぞれの手段は異なります。自分のやり方、自分の目指す生き方だけを大切に磨き上げながらあとはご縁やお導きに合わせていくのです。

私も自分に与えられたご縁をよく観察していると、様々なキーワードが出てきます。それを書き記していると、次第に自分の物語がどのようなものになっているのかなどを読み解いていくことがあります。すると、自分に与えれられた宿命や運命についても少しだけ直感していくこともあります。

人生はそうはいっても、主語を神様などの偉大な存在にし委ねて任せて生きていくのならどこで急展開していくかはわかりません。それを好奇心と共に深く味わい歩んでいくなかに偉大なものと一体になった生き方があるように思います。

子どもたちがこの先、どう生きていくか。偉大なものに委ねる生き方を身近な存在から感じてほしいと思います。

繋がりの結

互助や共助という言葉があります。助け合いの仕組みのことですが厳密には「共助」の場合は、医療制度や年金制度、や保険制度など制度化された助け合いを指す意味が強く「互助」の場合は近隣住民で日常的にお互い助け合い声を掛け合う、といった助け合いの意味が強くなるといいます。

どちらにしても、助け合うことで支え合う仕組みがある御蔭で人々は安心して暮らしていけます。

戦後は公的な公助ばかりをあてにするようになりこれらの互助や共助が失われていきました。保険を含め、金銭的な余力によって安心するようになり地域とのつながりや家同士の結びつきもなくなっていきました。家族であっても、それぞれにバラバラに別々の場所で暮らしていますし、頼り合ったりすることも減ってきています。

何をもって安心するかということが崩れていきますから、不安から余計にお金を頼る世の中になっているのかもしれません。本来、土地も文化も財産もみんなものという意識の時代がありました。歪んだ個人主義と共に、それも崩れていきましたが神社仏閣をはじめ様々な伝統文化や遺産もすべてはみんなの大切なものという認識の時代もありました。

とても一人では守れないからこそ、みんなで守ろうとしてきたから今まで守られてきたのです。それができない時代になったからこそ、今はどう守っていくかをそれぞれで苦労している人ばかりになっています。

生活文化というものも同様に、なんでもお金にするうちに生活文化そのものもお金になっていき本質も崩れてきています。親から子へ、そして先祖から子孫へと結ばれてきた暮らし方や生き方も伝承されずその知恵も失われていきました。

自然との共生も、互助や共助もそれは安心して暮らしていくための偉大な知恵を内包しているものです。

時代が変わっても、安心して暮らしていくためにはその繋がりの結を今の時代に甦生させていく必要があります。先人たちの知恵を学び直して、新たな知恵を革新していきたいと思います。

円空の生き方~修験僧の真心~

円空という人物がいます。この人物は、1632年7月15日に生まれ、1695年8月24日に亡くなられた江戸時代前期の修験僧(廻国僧)です。仏師・歌人でもあります。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで有名で一説には生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されています。現在までに約5,300体以上の像が発見されているといいます。

円空は、20代の頃に白山信仰にはいります。これは山そのものをご神体として信仰する山岳信仰のことで、白山を水源とする流域を中心に信仰されていました。奈良時代の修験道の僧侶、泰澄(たいちょう)が白山に登頂して開山し、白山信仰は修験道として体系化されたものです。円空も同様に修験道の修行をしたとされています。この修験道とは、「山へ入って厳しい修行を行い、悟りを得ること」を目的とした日本古来の山岳信仰が仏教と結びついたものです。そのほかにも伊吹山太平寺で修行を積んだといわれます。その後、遊行僧として北海道から畿内に渡る範囲を行脚し大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山、乗鞍岳、穂高岳などにも登拝したとあります。

円空は「造仏聖」(ぞうぶつひじり)と呼ばれました。これは寺を持たず、放浪しながら仏の像を作る遊行僧のことをいい、幕府からは下賤とされていたといいます。しかし一部の貴族や上流階級しかお寺を拝み恩恵が得られなかった時代、庶民や田舎の農民たちには信仰は近づけません。だからこそ、そこに仏像を彫り与えて救いを共に求めたのかもしれません。

円空が出家したのは、母が洪水によって亡くなったことが切っ掛けだったといいます。最後は、その土地に還り64歳の時に断食を行い母が眠る地で即身仏となって入定したといいます。

どのような思いで仏像を彫りこんだのか、これはきっとお母さんの供養からはじまったことです。修行するうちに『法華経』に書かれた女人往生によって母の成仏を確信してこの法の素晴らしさを広めるために仏像を彫る決意をしたという説もあります。しかしこれは本人ではありませんから推察でしかありません、しかし一生涯に12万体以上彫り込むというのは、よほどの強い思いがあってのことです。

多くの人々を救いたい、その一心で彫り込んだからこそこの数になっているのを感じます。

この時代の世の中の人日が造物聖を差別したというのはとても信じられないことですが信念をもって歩き彫り込んで、自らのいのちを削り彫り込み信仰を全うしたことがわかります。そもそも修験道とは何なのか、そして本来のお山の信仰とは何か、この円空から学び直すことばかりです。

お山に入り、木のいのちや徳性を見極め、それを観立てて仏様の依り代にし祈りをもって造形していく。苦しみが救われ、慈悲を伝道していく中にいのちを全うするという生き方。今でも円空仏に心が惹かれるのは、その生き方が仏像に刻まれているからかもしれません。

悩み苦しみには観音菩薩を、病気には不動明王を、災害や雨ごいには龍王を、そして安らかな死には阿弥陀如来を彫っては依り代にしたのでしょう。

時代が変わっても人々の持つ業は失われることはありません。今はさらに効率化や自利欲や金銭が優先する世の中になり不安や不幸も増えている様相です。この時代の円空は誰か、そして円空仏は何処にあるのか。

私なりのその道を辿り継承してみたいと思います。

暮らしの叡智

暮らしという伝統がそれぞれの国には存在します。例えば民間療法などもその一つです。それぞれの地域にはそれぞれの薬草などがあり古来からの治療法があります。今のように薬は買うものになっていますが、実際には買わずに身近な野草や植物を栽培してそこから薬にしていました。

長い間、人間は自分たちのいのちを支えてくれる存在を身近において共にパートナーとして暮らしてきたからです。それが今の時代のようにすべてのものをお金にするようになり、お金にならないものには未来がないと捨てていきました。

例えば、お医者さんを目指すのならお金になる医者になるように勧めます。民間療法などはお金にならないからなるなとばかりに親や周囲から言われます。子どもたちもお金になる職業を目指し、お金にならない職業は人気がなくなり消えていきます。

しかしそんなことをずっとやっていたら、お金にならなくても大切で失ってはならない伝統的な暮らしや知恵も共に消えてしまうのです。その連綿とつながって続いてきた中にこそ民族の知恵がありそれが途切れてしまえばそこで民族の叡智も途絶えます。

何百年も何千年も続いてきた文化を途絶えさせてしまうのです。その損失たるやはかり知れません。しかしそんな活動を誰かがやっても生活ができません。だから続かずに終わってしまいます。

これは信仰にも似ています。本来の信仰は、誰か特定の人が守るものではなくみんなで守るものです。相互扶助の組織、結、あるいはそれぞれの家々で親から子へ、またさらにその子へと連綿とつなげていくことで守ってきたものです。

暮らし方というものの中には、すべてその知恵が生き続けて存在しているのです。

私の取り組む暮らしフルネスとは、そういう人類にとってはこの時代も守り続けて伝承する必要がある叡智をみんなで守っていこうという活動でもあるのです。

子孫のためにも、仲間を集め結をつなぎ暮らしの叡智を守っていきたいと思います。

見極める目

物事を観察するのに、何が本質で何が本質ではないかを見極める目というものがあります。私たちは知識が増えていくうちに、あるがままのものが見えなくなっていくものです。それは知識によって知るという行為で現実が曇っていくからです。現実が曇るというのは、澱んでいる水のようにも似ています。

つまり透明で澄んだ状態ではないので見えるには見えるけれど明瞭に本質が見えないということです。それは心の状態にも影響していきます。そもそも心というのは何もなければ常に自然と同様にあるがままのものが観えるものです。

むかしの人たちはそれが観えていたからこそ、その自然や野生が持つ力を知り、それを活用して暮らしを営んできました。いのちの持つ循環やその効果などもあるがままに澄んで観えていたようにも思います。その証拠に、今でも先住民族や野生がのこっている人たちはその感覚が残っています。

しかし長い時間をかけて感覚ではなく、知識によって知ることを優先されてくると頭ではわかっても実際には観えないという状態がはじまります。こうなってくると、現実が曇ってきてよくわからないことを共同で信仰するかのように理解する社会になってきます。

例えば、地震や自然災害などは本来は畏敬と共にむかしの人たちは備えましたが今では一週間程度の備蓄と多少の装備と訓練すれば大丈夫のような感覚になっています。そんなはずはなく、現実にその時が来たらなぜそんなところに住んだのかやなぜ現実がわからなかったのかと曇りが取れます。

東日本大震災の時も、津波に原発とあの揺れと犠牲の大きさに私たちは自分自身の現実が曇っていたことに気づいた人がたくさんいたように思います。その澱みに気づいて心を澄ませて人生を換えた人も多くいたように思います。知識が通用せず、如何に知恵が大切かということにも目覚めた人も多かったように思います。

しかし歳月が過ぎ、また似たような知識ばかりを詰め込んでいるうちに気づくと曇り澱んできて元の木阿弥になります。

だからこそ如何に人間は曇らないように澱まないように心を澄ませていく暮らしを実践し日々を調えていくかにかかっているように思います。今は、自然災害が猛威をふるい、そして地球環境も人間社会も大変革期に入っているからです。

子どもたちが安心して未来を今を曇らせないように自然に寄り添った生き方、自己を磨き澄ませていくことの大切さなどを伝承していきたいと思います。

暮らしの実践

観えないものを観る力というものは、実践によって磨かれていくものです。日々の掃除をはじめ、日々の内省、初心に向かってコツコツと新鮮な気持ちで取り組み続けることで観えないものが観えるようになる境地の会得というものがあるように思うのです。

これは武道をはじめ、伝統継承の方などもその境地の会得によって一般的に観えないものを観えるようになっています。その証拠に、それを言葉にして実際に見せることができるところまで結果を出しているからです。

続けることというのは、変化を観続ける力です。継続は力なりとありますが、本来は力の本質は継続にこそあるということでもあります。最初は自分が観えるようになるまで実践をし、観えるようになったら気になりますからそれをお手入れし保ちまた時代の変化にあわせて革新し続けるように精進するようになります。

バランスという中庸もですが、中庸がわかるというのは中庸でいるということですがこの中庸は中庸を実践し続けている状態、観えないものが観え続けている状態、たとえば自然の循環やいのちが観え続けている状態のように意識がバランスを保つこと調えてある場に定着して離れないほどに取り組む状態であるということでもあります。そしてこれが暮らしの実践でもあります。私の暮らしというのは、本来その意識を保つためにあるともいえます。

現代は、資本主義などにょり仕事や経済活動が中心になって暮らしはその隙間に少しだけある程度で語られます。経済の中にある暮らしは、道具を販売したり、衣食住がよくなるため、またそれを実践するワークショップや講演会をやったりと経済と紐づいているものとして語られます。しかし本来の暮らしは、そもそも生き方のことであり生き方が暮らしにまで昇華されているということでもあります。

日本人の先人たちは、自分たちの生き方を暮らし方にまで到達させてきました。それを徹底して実践することで、自己の修養や精神、魂を磨き上げてきました。日々が精進と修行のような暮らしをしていますが、その中で感謝に満ちた足るを知る生き方を実践してきたのです。いのちを活かし、ものを活かす、徳に報いて喜ぶ仕合せの境地を会得しておられました。

私の提唱している「暮らしフルネス」はそれを今も先人たちと同じように体験することによって、日常のなかで幸福や仕合せを味わえる生き方を体得できるようになるという仕組みになっています。しかし、これも境地の会得までは実際には実践しないとあくまで一過性の体験で暮らしが変わることにはなりません。

暮らしを変えていくということは、実践をしていくということです。

子どもたちに先人たちの遺してくださった生き方や暮らしの真の豊かさを伝承していけるように引き続き暮らしフルネスの実践を味わっていきたいと思います。

善は急げ

「善は急げ」という言葉があります。「善は急げ」は、仏陀のダンマパダ(法句経)が由来の言葉です。 ここには「善を為すのを急げ、悪から心を退けよ、善を緩くしたら心は悪事を楽しむ」と紹介されています。

この善を急げという言葉は、日常的にはすぐに良いことはやったほうがいいという意味で用いられます。それが次第に、すぐにやることのことを指すようになっています。

しかしよくこの仏陀の言葉を吟味していると、実際には心が悪事に流されないように常に善いことを続けよという意味合いの方が強いことに気づきます。別の言い方にすると、「徳を積むことを躊躇わずに実践し精進しなさい」という言葉にも聴こえてきます。

気づかないうちに悪いことに影響を受けるのに躊躇うことはあまりありません。ちゃんと悪いと思ったらやりませんが、知らないうちに悪いことに巻き込まれてしまっていたらどうしようもありません。

今の時代のように、自然環境破壊や自利的な経済の競争社会の仕組みの中で過ごしていたらそれだけで気づかずに悪事に参加しているようなことは多々あるものです。それをしないようにといくら気を付けていても、圧倒的に社会が悪が強くなれば気づいたら善行の量よりもそうではないことの方が増えてしまいます。

悪をなさないと気を付けることも大切ですが、それよりも善行をしたいという強い気持ちで実践を続けることで心を調えていくことができるのかもしれません。それに善し悪しもそれがわかるというのは、それだけの視座や視野があるともいえます。だからこそこれが善いこと、悪いことと簡単には決めつけることもできません。人間は不安だとせっかちになって、早く解決したいと結果を望むものです。しかし、善いことをするのにせっかちで早く結果を出したいと思うかといえば善行は長い時間をかけて見返りもなく、徳が醸成されていくまでゆっくりと待ちます。

だからこそ不安な世の中の情勢に悲観して諦めるのではなく、それよりも善は急げとみんなで徳を積む喜びを味わう方が人類は幸福に近づいていけるように私は思います。

また「随喜功徳」という言葉もあります。これは他人が善い行為を修めているのを心から喜び、それを賛嘆することをいいます。まさに自他一体の喜びが徳になるという教えですが、善は急げということの意味深さもここにあります。

正しいことをやることや理屈で良いことを述べたり批判評論するよりも、まさに徳を積むことをどんどんやろうとみんなで善を急げの方が喜びも豊かさも倍増し幸福も訪れるように思います。これが私が思う、徳積循環の経済をみんなで伸ばしていくことでもあります。

子孫たちが、いつまでも真に豊かな心の世界が伝承されていくように善を急いで取り組みたいと思います。

 

覚醒と初心

物事には始まりというものがあります。始まりが何か、それを初心とも言います。人はみんな今があるのはそのはじまりがあったからです。そのはじまりにどのような心であったかを知ることで今がなぜこうなっているのかがわかります。

不思議ですが、時代が変わっても時間がどれだけ経ってもその初心は変わることなく受け継がれていきます。初心が変わらないから時代に合わせて実態は変化していきます。変化するのは初心を守るからであり、初心があるから時代が変わります。

例えば仏教というものもあります。最初に仏陀が誕生してからあらゆる変遷を経て今に至ります。その間は、何度も迫害にあり消滅しかけたこともあれば、国家運営に取り入れて世界に拡大していくこともあります。しかし最初は仏陀からはじまったものであるのは普遍的です。そしてこの仏陀もまた、その前の初心に出会ってその初心に気づいてから目覚めたのかもしれません。

真理を追究してどこまでも瞑想によってにたどり着いて目覚めたからこそ、サンガという相互扶助の実践に生きたのかもしれません。そしてその初心は、もともとあるもに気づいたからでしょう。偉そうに資格もないのに仏陀を語るなという批判もあるかもしれませんが、幸福とは何かと求めて掘り下げれば誰でも似たような境地を感得する気がしています。

地球や自然界は、共生や助け合いによって循環しています。本能的に私たちは一つの身体を調えようと思うとき、一つの身体になるような利他の心が必要になります。まるで内臓がすべての臓器を思いやるように、それぞれが助け合い身体を保ちます。身体を深めていけばいくほどに、この世の真理は何かということに気づいたのかもしれません。

かつての僧侶は医療にも長けたのは、それだけ身体の真理を悟っていたからかもしれません。日々に気候が変動するように、日々に身体の調子も変動していきます。ほんの小さな変化が積み重なり嵐にもなります。同様に人間もまた、どんな小さな善行でもそれがのちの大きな徳となって報われることもあります。

当たり前に気付ける感性というものこそ私は目覚めたものだと定義しています。

もともとどうであったかを深めることは、自分の初心を省みるのにとても役立ちます。子どもたちのためにも、初心を忘れずに磨いていきたいと思います。