物事には始まりというものがあります。始まりが何か、それを初心とも言います。人はみんな今があるのはそのはじまりがあったからです。そのはじまりにどのような心であったかを知ることで今がなぜこうなっているのかがわかります。
不思議ですが、時代が変わっても時間がどれだけ経ってもその初心は変わることなく受け継がれていきます。初心が変わらないから時代に合わせて実態は変化していきます。変化するのは初心を守るからであり、初心があるから時代が変わります。
例えば仏教というものもあります。最初に仏陀が誕生してからあらゆる変遷を経て今に至ります。その間は、何度も迫害にあり消滅しかけたこともあれば、国家運営に取り入れて世界に拡大していくこともあります。しかし最初は仏陀からはじまったものであるのは普遍的です。そしてこの仏陀もまた、その前の初心に出会ってその初心に気づいてから目覚めたのかもしれません。
真理を追究してどこまでも瞑想によってにたどり着いて目覚めたからこそ、サンガという相互扶助の実践に生きたのかもしれません。そしてその初心は、もともとあるもに気づいたからでしょう。偉そうに資格もないのに仏陀を語るなという批判もあるかもしれませんが、幸福とは何かと求めて掘り下げれば誰でも似たような境地を感得する気がしています。
地球や自然界は、共生や助け合いによって循環しています。本能的に私たちは一つの身体を調えようと思うとき、一つの身体になるような利他の心が必要になります。まるで内臓がすべての臓器を思いやるように、それぞれが助け合い身体を保ちます。身体を深めていけばいくほどに、この世の真理は何かということに気づいたのかもしれません。
かつての僧侶は医療にも長けたのは、それだけ身体の真理を悟っていたからかもしれません。日々に気候が変動するように、日々に身体の調子も変動していきます。ほんの小さな変化が積み重なり嵐にもなります。同様に人間もまた、どんな小さな善行でもそれがのちの大きな徳となって報われることもあります。
当たり前に気付ける感性というものこそ私は目覚めたものだと定義しています。
もともとどうであったかを深めることは、自分の初心を省みるのにとても役立ちます。子どもたちのためにも、初心を忘れずに磨いていきたいと思います。