善は急げ

「善は急げ」という言葉があります。「善は急げ」は、仏陀のダンマパダ(法句経)が由来の言葉です。 ここには「善を為すのを急げ、悪から心を退けよ、善を緩くしたら心は悪事を楽しむ」と紹介されています。

この善を急げという言葉は、日常的にはすぐに良いことはやったほうがいいという意味で用いられます。それが次第に、すぐにやることのことを指すようになっています。

しかしよくこの仏陀の言葉を吟味していると、実際には心が悪事に流されないように常に善いことを続けよという意味合いの方が強いことに気づきます。別の言い方にすると、「徳を積むことを躊躇わずに実践し精進しなさい」という言葉にも聴こえてきます。

気づかないうちに悪いことに影響を受けるのに躊躇うことはあまりありません。ちゃんと悪いと思ったらやりませんが、知らないうちに悪いことに巻き込まれてしまっていたらどうしようもありません。

今の時代のように、自然環境破壊や自利的な経済の競争社会の仕組みの中で過ごしていたらそれだけで気づかずに悪事に参加しているようなことは多々あるものです。それをしないようにといくら気を付けていても、圧倒的に社会が悪が強くなれば気づいたら善行の量よりもそうではないことの方が増えてしまいます。

悪をなさないと気を付けることも大切ですが、それよりも善行をしたいという強い気持ちで実践を続けることで心を調えていくことができるのかもしれません。それに善し悪しもそれがわかるというのは、それだけの視座や視野があるともいえます。だからこそこれが善いこと、悪いことと簡単には決めつけることもできません。人間は不安だとせっかちになって、早く解決したいと結果を望むものです。しかし、善いことをするのにせっかちで早く結果を出したいと思うかといえば善行は長い時間をかけて見返りもなく、徳が醸成されていくまでゆっくりと待ちます。

だからこそ不安な世の中の情勢に悲観して諦めるのではなく、それよりも善は急げとみんなで徳を積む喜びを味わう方が人類は幸福に近づいていけるように私は思います。

また「随喜功徳」という言葉もあります。これは他人が善い行為を修めているのを心から喜び、それを賛嘆することをいいます。まさに自他一体の喜びが徳になるという教えですが、善は急げということの意味深さもここにあります。

正しいことをやることや理屈で良いことを述べたり批判評論するよりも、まさに徳を積むことをどんどんやろうとみんなで善を急げの方が喜びも豊かさも倍増し幸福も訪れるように思います。これが私が思う、徳積循環の経済をみんなで伸ばしていくことでもあります。

子孫たちが、いつまでも真に豊かな心の世界が伝承されていくように善を急いで取り組みたいと思います。