偉大なものに委ねる生き方

むかしから分を超えたことを実現するとき、人は自分よりも偉大なものにいのちを委ねて取り組んできたともいえます。マザーテレサは「私はただ神の御手の中にある鉛筆です」という言い方されていたともいいます。そこまで自分を丸ごと信仰に委ねる境地によって人は偉大なものと一体になるのかもしれません。

歴史の偉人たちの生涯を読み解いていると、何か偉大なものと一体なって生きている人たちの生きざまがあります。主語は自分ではなく、主語は神様になっているのです。

例えば、地球が喜んでくれるか、いのちが仕合せであるかなども同じです。何を最も優先して生きていくかでその目的によって手段は無数に存在します。色々な人々がこの世にいるのは、その手段をそれぞれの持つ徳性や配置によっても変わってきます。

まったく別々のことをしているようであっても、実際には同じ目的で活動しているのだからそれぞれの手段は異なります。自分のやり方、自分の目指す生き方だけを大切に磨き上げながらあとはご縁やお導きに合わせていくのです。

私も自分に与えられたご縁をよく観察していると、様々なキーワードが出てきます。それを書き記していると、次第に自分の物語がどのようなものになっているのかなどを読み解いていくことがあります。すると、自分に与えれられた宿命や運命についても少しだけ直感していくこともあります。

人生はそうはいっても、主語を神様などの偉大な存在にし委ねて任せて生きていくのならどこで急展開していくかはわかりません。それを好奇心と共に深く味わい歩んでいくなかに偉大なものと一体になった生き方があるように思います。

子どもたちがこの先、どう生きていくか。偉大なものに委ねる生き方を身近な存在から感じてほしいと思います。