お山の知恵

英彦山の宿坊では先日の大雨被害から水回りのお手入れを続けています。都会の治水とは異なり、山の治水は思った通りにはいきません。毎回、水量が更新され水の流れも新しくなります。そのままにしておけば、水路ができたり道が遮断されたり土砂崩れになることもあり、土木作業が必要になります。

山で一人で土木作業というと想像するだけで大変なことがわかります。特に重機などを使わず、人力で行っていますから作業量の多さに立ち眩みするほどです。

しかしこの治水というのは、お山で暮らすためには必須の力であるように感じます。石を用い、水を治める。あちこちの宿坊跡地をみていても、如何に水を御するのか、そして土を管理するか、木々と石と風と水、それらを上手に総合的に組み合わせて場をととのえていたのがむかしの人たちの山での暮らし方だったのでしょう。

治水といえば、有名な人物に加藤清正がいます。むかし明治神宮の傍に住んでいたとき、よく加藤清正が掘った井戸にいくことがありました。水を上手に活かすことができる人物というのは、自然の道理や知恵に長けておりまさに自然の総合力を活かせる人物だったように思います。国を治めるのも、水を治めるのも道理は一つだったように思います。

その加藤清正に治水五則というものがあります。

一、水の流れを調べる時に、水面だけではなく底を流れる水がどうなっているか、とくに水の激しく当たる場所を入念に調べよ。

一、堤を築くとき、川に近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いていても堤が切れて川下の人が迷惑をする。

一、川の塘や、新地の岸などに、外だけ大石を積み、中は小石ばかりという工事をすれば風波の際には必ず破れる。角石に深く心を注ぎ、どんな底部でも手を抜くな。

一、遊水の用意なく、川の水を速く流すことばかり考えると、水はあふれて大災害を被る。また川幅も定めるときには、潮の干満、風向きなどもよく調べよ。

一、普請の際には、川守りや年寄りの意見をよく聞け。若い者の意見は優れた着想のようにみえてもよく検討してからでなければ採用してはならぬ。

これは知恵の結晶です。何度も治水に取り掛かるうちに失敗したことを改善し、その改善したことを五則として再現可能なものに展開しています。誰でも失敗はしますが、それを善い失敗として何度も反芻するなかでそれを一つの法則にまで高めていく。

法則を持っていることで、後世の子孫たちが真に参考にでき知恵が活かされるという仕組みです。

英彦山ではもう山伏もいなくなり、治水を知っている人もほとんどなくなりました。今は故人の遺した石垣や治水の跡をよく観察し、どのような道理なのか、そして谷がどうなっているのかを洞察して治水を続けています。

お山の暮らしは学ぶことがいっぱいあります。子孫のためにも、お山での知恵が子孫へ伝承できるように改善し仕組みにしていきたいと思います。

真の自立

人は他人の発言を鵜呑みにすることで思考が停止するものです。自分自身で体験して見て感じて得たものではなく、如何にもそれが真実化のように分析され有名な権威の人が語ればそうだろうと信じ込むとそれは自分でわかったものではありません。

今の時代は便利な世の中で、体験する暇がないほどに忙しくなんでもお金で買うことができるようになっています。情報もまた、お金で買えるもののように感じていますし一度体験したらそれがわかった気になるものです。

しかし実際に、それをゼロからすべて自分で行った人にはその体験した期間に得た知恵があります。これは単に情報を鵜呑みにすることはできず知恵は自分の感覚や体験が知覚していますからすぐに不自然に気付きます。

例えば、私は作物を育てていますが自然にその作物、私は固定種の種で高菜を育てていますがその高菜が喜ぶように見守り育てそれを食べるところまでを一貫して取り組むことでそのものの素質がどうなっているのかを感得しています。すると、肥料や農薬、あるいは種を改良されたものとの違いや味のことなどもわかってきます。

そもそも思考停止するというのは、何が本来か、何が自然かということがわからなくなるということのことをいいます。

自然がわからないから、思考が停止しているということです。逆をいえば、自然がわかるというのは何が不自然かを見破れるということです。

これは情報化社会になっている現代において、あるいは自立して自分軸で生きていくためには必須の力になってくるものです。世界ではあらゆるニュースが報道されますが、それを見破れる人と、思考停止して信じ込んでしまう人がいます。その力量を磨くには、日々に自分が思考停止をしないように自然が何かを自然と共生して気づき続ける必要があります。

真の自立とは、この自然か不自然かを知り、自分が不自然でないように生きていくことをいうように私は感じています。子孫のためにも、自然から学び続けることを実践していきたいと思います。

いのちをつなぐ

いのちは世代交代を繰り返しながら甦生を続けています。寿命というものは、すべてのいのちに与えられていてみんなその法則に従っていのちを循環させていくものです。当たり前すぎて忘れてしまいますが、身の回りの植物から昆虫にいたるまで連綿と毎年同じように生死を繰り返して甦生しています。

最後まで順風満帆に全うするものもあれば、途中で事故やケガ、病気で死んでしまうものもあります。しかしそこで途絶えないのは、他にもいのちがありどれかが無事にいのちの巡りを全うして次世代にいのちをつなぐからです。

目の前の虫も同じく、鳥に食べられるものもあればうまく見つからずに老衰して全うするものもあります。そのいのちの境目は何なのか。もしその虫の気持ちになれば、食べられる方は一瞬ですが最後までいのちを全うできなかったと感じるのでしょうか。虫によっては、カゲロウのように食べないで子孫を残すためにいのちを削り込むものもいます。またはイチジクコバチのように植物に吸収されるものもあります。そのいのちの目的は、子孫へといのちのバトンをつなぐためだけに集中しています。

植物や木々も同じく、魚やバクテリアもみんな同じいのちの目的のために生涯を費やします。これはいのちの法則であり、そこには運不運もありますがそれも含めてみんな真摯に次世代へといのちをつないでいくことで使命を全うするのです。

人間は、気が付くと自分というもの、自分のいのちを私物化するようになってしまいました。いにしえから、いのちの私物化は天敵によって滅ぶという仕組みがこの宇宙や地球には存在しています。その理由は、いのちの目的から外れるためです。みんなでいのちをつないでいこうとするから多様性が生まれ、その多様性によっていのちは守られます。

相互扶助とは大きな意味ではいのちの世界の根源を顕します。

みんなが助け合って支え合って生きるためには、それぞれがいのちを尊重してみんなでいのちをつないでいくような世界を創造していくしかありません。そのために場づくりがあり、本来の場とはそういういのちを実感できる智慧が宿っているところです。

今の世代は、いのちの尊重や多様性を学び直す世代だと実感します。自分さえよければいいではなく、みんなもどう尊重していくかを実践で会得していく必要を感じています。本来の自然と共生していのちを繋ぐといった暮らしを伝承していきたいと思います。

時代の病

時代時代に、病気というものがあります。その原因は、それぞれの環境の変化によるものです。現代では、成人病をはじめ伝染病、精神疾患なども増えています。もっと前では、飢餓や栄養失調、衛生面などの病気が増えていました。時代と共に対策もとられ、それぞれの病は克服していきました。しかし、克服できない病というものもあります。その一つが心の病です。人間の飽くなき欲望の果てに発生し、いつまでもこの病気はなくならず争いも差別もなくなりません。

日本人はもともと「いのち」というものを観て、八百万の神々といってすべてのものに宿っている存在を丸ごと信仰してきました。その根源を見つめ、世界中のあらゆる信仰や宗教、文化、文明も融和合一していきました。心の病を見つめ、本来のありよう、自然との共生の中で豊かに幸せに生きる道を選択してきました。

今では信じられないかもしれませんが、とても仕合せで助け合い心の病を克服していた時代があります。縄文時代の遺跡や様子からも垣間見ることができます。幸福論というのは、それぞれの時代の知恵者が語りますが空気や太陽のように偉大で当たり前すぎてなかなかそれが文化として定着するには至りません。

子孫やずっと先の未来のことを思うと、この病をどう克服するかは今を生きる世代の代々の使命であったはずです。自分の世代が今あるのは、先人たちの苦労と汗と知恵の結晶だからです。

私が暮らしフルネスや徳の循環をするのもまた、今の時代の病を克服するためです。目先の小利や欲望の毒に負けて、経済も悪循環で地球環境の破壊のスピードは増すばかりです。国家間は奪うことばかりで、膨大な富はすべて奪い合うために使われていきます。

一人一人の小さな行動では間に合わないのではないかと焦る声もありますが、実際には時間もかかるし、地道に取り組むのが最も近道なのです。

論語に、「速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 」があります。

また二宮尊徳に「速成を欲するのは、人情の常である。 けれども成功、不成功には時期があり、小さい事柄でも、おいそれとは決まらない」ともあります。

世の中の変化を見つめては焦る気持ちが増えていきます。目指す目的が明確で実行することが大きければ大きいほどに、孤高の苦しみがあります。しかし、現実はやはり脚下の実践からしか変わりません。

最後に、森信三の言葉です。勇氣をもって歩む仲間たちへ共感をもって贈ります。

『一眼は歴史の彼方へ、そしていま一眼は脚下の実践へ』

生き方こそ、もっとも人類へ貢献できる実践です。みんなで今いる世の中を子孫のために改善していきたいと思います。

自己の慢心

ガダルカナル島の戦いというものがあります。これは1941年12月に開戦した太平洋戦争で旧日本軍は、両国の連携を阻む戦略的な要衝として飛行場を設営したところ1942年8月にアメリカなどの連合軍が島に上陸し飛行場は占領されました。その奪還をするために旧日本軍は何度も部隊を送り込みました。しかし食料の補給もほとんどなかったことから、餓死したりマラリアに感染して死亡したりする人も後を絶たず、島を退却するまでのおよそ半年間で死亡した人は合わせて2万人以上になった戦いです。

このガダルカナル島の戦いを節目に日本が敗戦に向かう転換点だと検証されています。実は私の祖父の兄弟もこの戦いに参加して亡くなりました。戦いで撃たれてなくなったのか、餓死なのか、もしくは自決なのかは知らされていません。

そもそも戦争の検証というものを、敗戦後に日本はきちんとなされていません。戦争を語らないような風潮があり、本来の失敗やあれは何だったのかということを振り返っていませんから改善ができていません。

現代、日本は新しい戦後といって軍拡が進み日本の周囲は怪しい暗雲が立ち込めてきています。

そもそもこのガダルカナル島の戦いは、情報戦や判断の慢心によるように思います。この慢心とは、思いやりが失われているという慢心です。人は守るときにおいて、強くなりますがただ攻めるときは弱いものです。攻めるときは、攻める気持ちに慢心があります。しかし守るときは、人は守るために強くあろうとし謙虚になります。

大切なものを守るためにというのは、その中に日本や家族だけではなく前線で戦う兵士たちのいのちもまた守るためのものです。補給が絶たれ、何度も無謀な突撃をさせ、伝染病やけが人を自決させているような戦いに勝機などあるわけはありません。

先祖が、どのように現地で悲惨な目にあったのかを思うと忸怩たる思いがして戦争の検証をする必要性を感じます。私たちは学校ではこのようなことはほとんど教えられません。すでに終わったこと、平和になって戦争はなくなったかのような空気感です。見て見ぬふりというか、現実を逃避しています。経済でのつながりや結びつきから戦争は終わったと感じるのでしょう。

しかし歴史を検証すれば、どの時代も商売や経済はつながっていても国家間や軍事の戦争は行われてきました。それはそれこれはこれと、戦争はいつでも発生するのです。

だからこそ、私たちは先人たちが体験してきたことを真摯に伝承して今、どうあることが守ることか、どうあることが戦略であるか、そして戦争をどう回避するのかを事前にできる限り取り組むことで真の勝機もつかめるものです。

現代の状況をみていたら、このガダルカナル島の戦いに似た状況になっているのではないかと私は直感しています。餓死、伝染病、突撃に自決。まさかと思うことが、起きるのが歴史です。検証していくことは改善していくことです。改善していくことは、二度と同じ過ちをしないという教訓を生きることです。

子孫のためにも、供養の心をもって自分はどうあるか、自己の慢心を見つめていきたいと思います。

天狗の教え

天狗という存在がいます。これは一般的には日本の伝承に登場する神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物のことです。山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされ俗に人を魔道に導く魔物とされます。

本来、この天狗という言葉の語源は中国から由来したものです、古代中国で、凶事を知らせる流星が、狗(犬)に似ているとして「天の狗」「天狗」と呼びました。

これは隕石が大気圏を突入し空中で爆発した時の音が狗の咆哮に似ていたり天を駆ける狗の姿に見立てたとあるそうです。

実際には、中国では鼻の長い赤い顔や猛禽類のような姿の天狗のイメージではなく犬の姿を連想するものです。それが日本の山岳信仰と結ばれ、今の姿になったといいます。これはなぜかということを想像してみます。

もともと山を見上げると、流れ星が山の方へと落ちているように観えることが多かったのではないかとも思います。古代の人は、あの星が山に入って山の人になったと考えたのものあるように思います。また日本は、鷹天原とあるように鷹伝説によって神話が形成されています。つまり、鷹が天狗になったと考えたのかもしれません。英彦山には、烏天狗といってまるで鷹がそのまま天狗になったような姿をしています。

手にはヤツデを持っていますが、風を吹かせる力に長けていたとあります。もともと鷹は製鉄の神様でもあり、鞴といって風を吹かせて鉄を錬成します。

天狗は、あらゆる神通力を持ち仙人のような力を発揮します。そこから魔の象徴ともされます。この魔の漢字の語源も、切り立った崖に鬼が棲むというイメージでできています。

まさに天狗が、深山幽谷にいるイメージが想像できます。真実を見つめ、人々が畏れを忘れないように畏敬・畏怖を与えた存在だったのかもしれません。破邪顕正といって、人々が鬼に存在によって本来のあるべきようを考えるきっかけにもなったかもしれません。

私たちは、集団をつくりクニという人間中心の社会を形成するなかで畏れを忘れていきました。人間のルールを最上とし、自然の法則を無視した行動をするようになりました。そうすると、自然のしっぺ返しがきては大変な目にあってきました。

そういうことを忘れないように、天狗が教えてくれているという謙虚な姿勢を持つこともあったように思います。自然災害が猛威をふるい、人類は80億の人口を抱え、資本主義も終焉に入って戦争の気配が出てきています。時代は、今まさに天狗を必要としているように思います。

天狗は失われたむかしのことや、過去の歴史の産物ではありません。今も生き続ける人類の英知であり知恵の存在です。どう生き残るか、何を改善するのか、天狗の教えは今こそ求められます。

子孫のためにも、英彦山から天狗の知恵を伝承していきたいと思います。

自然と共に

粘菌という単細胞生物がいます。この粘菌とは、約6億年前に誕生したアメーバのような生命のことをいうといわれます。 変形菌、これは動菌ともよばれ、 真核生物の中で原生生物界 (protists)に属し、その粘菌のほとんどは腐朽した樹木や切り株などに生育しているといいます。ただ菌という名がついていますが実際にはミクロの動物のような存在で、食べ物はバクテリア(細菌)です。

一つ一つの細胞は10ミクロメートルと小さく、核が分裂して大きな変形体となり食べ物を求めて動き回ります。そして食べ物がなくなると、胞子を飛ばすために子実体となって形を形成します。

山の中、枯れ葉や枯れ木、あるいは泥炭のそばにこの粘菌はあります。よく考えてみると、すべての生命は生まれながらに生きる力を持っています。本能で何を食べて生きていくかを知っています。どう動けばいいかもわかっていて、自然に生きようとします。これは脳があろうがなかろうが関係がありません。

現代では、生きることは何か科学的に証明できるものによって生きているかのように分析します。心臓が動き血液が内臓で循環するからだとか、自律神経が働いてコントロールできているだとか、理由をつけます。

しかし実際には生きているものには、理由などなくただ生きています。このただ生きているだけの存在からなぜ生きているのかを探ることはできます。もっともミクロでもっとも原始的であればあるほど、もっともマクロで宇宙的なものを理解することもできるかもしれません。

有機物であろうが無機物であろうが共通するもののを観続けていると、そのいのちの存在に気づくように思います。それは古代から先人たちが直感してきた存在です。

この世の中には、役割というものがあります。それは身体を観ていてもわかります。髪の毛一本、皮膚の皮一枚、唾液から糞尿にいたるまですべて役に立ちます。何の役に立つのか、それは全体の役に立つのです。

そもそも役に立つとはだれかだけのためになるのではありません。奴隷のように使役され自由を与えてもらって役立つことを教育されますが、本来は生きているだけで全体の役に立ちます。もっといえば、存在しているだけが役に立つのです。それが観えないのは、全体が観えないからです。人間は、目先の小我や損得、あるいは自分、自分たちを中心にしかものを考えていません。一方、粘菌をはじめすべての生命はごく自然に全体の一部として生きています。だからわかるし気づくのです。

人間がわからないのは教養がついて思い込むからで実際には本能は自覚しています。その証拠に、自然というものは生死を繰り返すからです。循環を已むこともありません。

水がなぜ流れるのか、風はなぜ吹くのか、人はなぜ呼吸をするのか、なぜ生きて死ぬのか、死んだらどうなるのか、なぜ眠るのか、いくらでも好奇心は本能への探求を已めません。面白い世の中を体験するなかで、人は自らの天命やお役目を理解していきますがそれは自然界に倣うことの方が近道かもしれません。

自分にしかない役割を発見できることが仕合せなのは、人間であるが故の不幸の刷り込みかもしれません。本来の自然は自然に聴くことからはじまります。知識を得ても知恵は失っていくのでは人間としての発展とはほど遠いように思います。

子孫のためにも、自然と共に天命を開放していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの恩恵

お盆休みに入り、ゆっくりとお手入れ三昧を味わっています。最近では、神仏とのご縁が深まっていてあらゆる場所とのつながりもできましたから参拝するところが増えています。日程にも時間にも限度があり、大変なことではありますが真摯にお手入れをして綺麗にし調えている時間がとても豊かです。

自然というのは、時間を経て塵も積もりくすんできます。埃も溜まってくるし、場所も乱れてきます。これは人工物を自然に戻そうとする作業でもあります。野生の山林や河川などにいくと野生のままに整っています。それぞれのいのちが共生しあっている場所においては隙間がないほどに、それぞれの場所が融和しています。

しかしそこに人間が入れば、その場所が人間の入った場所に代わっていきます。そうなると、次第に野生のなかに人工的なものが入りますから場が乱れていきます。その場所を人間が調えていくと、人間にとって居心地のよいものになっていきます。野生との調和がとれるといってもいいかもしれません。

私たちの居心地のよい自然とは、お互いの距離感が保たれている状態のことをいいます。これはどの生き物でも同じで、過ぎたるは猶及ばざるが如しとあるようにやりすぎるとそこに反発が発生します。

場を調えていくのは、ほどほどがよくそこには丁寧な暮らしがあってこそというものなのでしょう。

人は限度がありますから、限度を超えない、身を弁えることから調和が保たれるようにも思います。この距離感というものは、自然と自分との距離感であり身近なもの、手が届く範囲の配慮でもあります。

一人一人が暮らしを調えていくことがなぜ世界を救うことになるのか。それは今の経済の在り方では終焉がまじかであるからです。永遠や永久、長い目で子孫のことを思えば思うほど、暮らしフルネスの実践の重要性を感じます。今の時代は、でもこういう自然的なものに蓋をする時代でなぜ気づかないのかと忸怩たる思いがあります。

世の中の価値観では不便であること、効率が悪いこと、お金にならないこと、野生的なものは悪とも断じられる時代です。でも人は、どこかで懐かしい暮らしを忘れてはいないと私は体験から信じています。

引き続き、実践を味わいながら楽しみながら周囲に伝道していきたいと思います。

南方熊楠と暮らしフルネス

南方熊楠のことを深めていますが、あの時代に実施された神社合祀のおぞましさを知り今に影響を与えていることをより理解できます。そもそも自然を尊重し、自然を崇拝するという生き方は、縄文時代より前から日本人は当たり前の暮らしの中で実践されてきたことです。

杜には様々ないのちが共生し貢献しあって循環し、その恩恵で私たちはみんなで暮らしを営んでいくことができます。それを支えているのは、目には見えない場の力です。この場の力を保つためにも、その中心となる場は神域としてもっとも大切に守り続けていく必要があるものでした。

それが西洋に倣って豪華絢爛の教会のような場所に換えようとし、国策や目先の私利私欲に走った人たちによって破壊されて本来の神社や地域の役割も破壊されました。

そもそもこの神社合祀というのは、簡単に言えば明治末期に約20万社近くあった神社を半分くらいに削減したものです。今でも好む中央集権化というか均一化、合理化によって便利になると考えたのでしょう。しかし実際には、古木や古樹は売り飛ばし鎮守の杜に新たな巨大な神殿を設け、神職の私邸などを建立するなどで人工的に変えていきました。

つまりは、自然よりも人間の方を優先しようとした政策に他なりません。そうやって自然があるところを破壊すればよりその土地を有効活用でき、国に利益が増すと考えたのでしょう。伝統や伝承など、目に見えないものを大切にするよりももっと物質的に価値があるものの方がいいという考え方で今の資本主義の価値観の根幹ともいえるものに転換されていったように思います。

これに対し、南方熊楠はこう反対します。

  1. 民の和融を妨げる
  2. 地方を衰微させる
  3. 国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を妨害する
  4. 愛郷心と愛郷心を損ずる
  5. 土地の治安と民利に大害あり
  6. 史蹟と古伝を滅却する
  7. 天然風景と天然記念物を亡滅する

結果的に、目先の利益よりも後世のことを考えたら非常に害があると訴えます。それでも目先の損得に目が眩んでいる人たちからはお上がそういうのだからいいだろうと我先に神社を破壊しては合祀していきます。結局は、大正9年には「神社合祀無益の決議」がなされ、神社合祀は終了しましたがそれまでに壊された杜は元には戻りません。

結局この明治8年頃に行われた廃仏毀釈や神社合祀、山伏禁止令などよくもまあ先人たちはこのような狂ったことをしたなと今でも憤る気持ちがあります。どのような気持ちで仏像や杜を破壊し、山に住む人たちを山から追い出したのか、絶望します。近代国家という幻想を西洋に抱いて、自らの精神の根源を捨て去ろうとする。日本人のアイデンティティが崩れてきたのはこの辺からであったのではないかと私は感じています。

逆を言えば、日本人は自然を尊重し崇拝していくことで甦生するともいえるように私は思います。自然を中心に和合した暮らしを甦生すれば、本来の根源的なものと結ばれ風景や風土と合一し民族の長所が活かされるのです。

今の日本の生活は、自然よりも人間、自然よりも人工、永遠よりも目先の利益といったもので仕上がっています。今更、どうやって元に戻すのかという具合に環境は人間中心のものになっています。故郷を失った根無し草のような環境のなかで路頭に迷っている状態です。

こういう時こそ、原点回帰が必要で何が元だったのか、原点は何かという日本人の初心を思い出す必要があります。縄文から今まで、ずっとつながってきた大切なものに触れることで思い出すのです。

この初心伝承の実践は、丁寧な暮らしからはじまります。子孫のためにも、一つ一つ形にまで甦生し、仕組みにして暮らしフルネスを展開していきたいと思います。

人生学問道

英彦山のお山の暮らしを味わっていると、出会う本も変わってきます。環境や杜に関するものや、仙人の話や神話や檀君の伝説、地理的な考察や明治頃の歴史の改ざんなど今まで以上に心魂や肉体に知恵が入ってきます。何か目には見えない何かが存在していて、まるで話しかけてくださっているかのように言葉が閃いてきます。

先月頃より、南方熊楠のことが気になって深めています。その生き方や生きざまには共感するものが多く、学問を志す姿勢に心を打たれます。この南方熊楠(みなかた くまぐす)は、1867年5月18日 に誕生し、1941年12月29日に亡くなっておられます。

有名なのは粘菌の研究で知られていますが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究も行っており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていました。1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献しています。民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがありますが、膨大な投稿論文、ノート、日記のかたちでで遺っています。学問をお金儲けのためには使わずに、真摯に学問をしてきたからこそ後世のために生きざまだけではなくその学問の在り方まで子孫へ伝承しておられます。

またフランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長け、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟したとあります。柳田國男から「日本人の可能性の極限」といわれ現代では「知の巨人」とも言われているそうです。水木しげるさんが、南方熊楠のことを漫画で紹介していますがこのお二人の目指す志が相まって一気に読みこみました。純粋無垢な人物は、その時代の人たちからが誤解されます。さらに日本人そのもののような子ども心を持っていたらなお変人扱いされます。

明治頃より、西洋の価値観が最上と刷り込まれ常識が変わってしまっていますが骨抜きにされた日本人たちが学問とは何かということも忘れてしまっています。この熊楠のように真摯に探究していくのは、学問道であり本来は当たり前にいた日本人の姿だったのかもしれません。

いくつか遺した言葉を紹介します。

「学問と決死すべし。」

「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕だ」

「学問というのは本来大学から学位を得るためのものでなく、嫌な学問をやったところで何の益もない」

「肩書きがなくては、己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」

名誉や地位や評価のための学問ではなく、まさに生きることこそ学問と取り組まれたのがこの言葉からもわかります。今の時代、学問を見せびらかすように行い、テレビやSNSで評価されることばかりを目指すことに何の意味があるのかと感じます。本来、自分のものにしていくなかで知恵を自分で獲得していくのが学問の本懐ですから表面をなぞってもそれが自分の知恵には結ばれていきません。私自身も日々に学んでいることはご飯を食べるように味わい丁寧に元氣を養うために楽しんでいます。別にブログのために学んでいるのではなく、学んだことを忘れないように書き残して自分の経験に映すようにしています。時代が変わっても、同じ生き方をしている人をみると勇氣をいただきます。

また熊楠で私がもっとも共感するものに、国家神道の普及のために行った神社合祀令に反対したことです。一時的で近視眼的な政治的メリットで伝承や日本の精神や信仰を破壊する行為です。これに対しては、「森を破壊して、何の伝統ぞ。何の神道ぞ。何の日本ぞ。」と激しく怒ります。

その理由は「小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼荼羅ならん。」とし、本来の天然風景の中にこそ純粋な日本があると見出しました。私もこれは同感で、余計なことをせず、人々が暮らしを通して実現してきた風土と一体になった暮らしこそ日本人の本来の原型であろうと思っています。私が甦生しようとしているのも、この風土と暮らしでありそこに日本人の伝承があります。

最後に、万能というのは万能を目指したのではなく学問に対して真摯な姿勢だったということです。私もあらゆるものを学びますが、一生涯、学び続けて学びながら死にたいと思うものです。死んで学びが終わるわけではなく、死後も学びは活き続けていきます。だからこそ、学問は楽しいのです。

子孫のため、自分のためにもさらにこの私の人生学問道を追及していきたいと思います。