弱さを力に

弱さというものがあります。現代では弱さをどこか悪いことのように差別的に使うことがあります。弱者救済も本来は、当たり前のことですがそれが特別なことをしているかのような表現をしたりします。弱さを否定する世の中になればなるほどに、助け合いや見守り合いという関係は失われていくものです。

本来、弱さというものは思いやりの力を引き出すものです。そして力の本質とは何か、それは守ることであり思いやりを発揮することのことです。腕力などの力というものは、力の本質ではないように思います。弱さをどう補完し合うか、そこに本来の力の意味があるのです。

私たちは幼いころから強くなるように刷り込まれてきました。その強くなるということは、力を持てともいえます。よく見かける力は、お金を持ったり、権力を持ったり、喧嘩や暴力であったり、独裁者にみられるあの力です。しかしその力は、本当に強い力があるのかというと怖さや不安や欲望からくるものでありそれもまた弱さの一つではないかと思うのです。

核戦争なども同様に、なぜ力を求め続けて最後に戦争になるのか。本来は、弱いからこそ助け合おうとしているのなら核戦争にはならないはずです。どこで話がズレているのか、そこには国家というもの、強い国家にするという政治的な営みが関係していることに気づきます。

人類は国というものを形成する段階で、強い国になることがいいと教育されます。一昔前は強い軍隊や兵器でしたが、今は経済力になっています。強弱という意味も、権力や暴力の強弱ではなく思いやりというものの強弱があると私は思います。強くても弱くても思いやりを持っていること。つまり信頼しあうという力を発揮するとき人は人間力が磨かれ徳によっていい世の中を実現していくということです。

歴史は何度も繰り返して悲惨な戦争を続けます。しかしその傍らに、仁や思いやり、そして徳治政治を行った君子たちも存在したこともわかっています。いつの時代にも戦争はなくなりませんが、今の戦争は地球規模での損害を与えてしまいます。

人類は意識をアップデートして、みんなで自立していく必要を感じます。まだできることはそれぞれにたくさんあります。今いるところから弱さを力にしてみんなで相互扶助の世界をつくっていきたいと思います。