時代時代に、病気というものがあります。その原因は、それぞれの環境の変化によるものです。現代では、成人病をはじめ伝染病、精神疾患なども増えています。もっと前では、飢餓や栄養失調、衛生面などの病気が増えていました。時代と共に対策もとられ、それぞれの病は克服していきました。しかし、克服できない病というものもあります。その一つが心の病です。人間の飽くなき欲望の果てに発生し、いつまでもこの病気はなくならず争いも差別もなくなりません。
日本人はもともと「いのち」というものを観て、八百万の神々といってすべてのものに宿っている存在を丸ごと信仰してきました。その根源を見つめ、世界中のあらゆる信仰や宗教、文化、文明も融和合一していきました。心の病を見つめ、本来のありよう、自然との共生の中で豊かに幸せに生きる道を選択してきました。
今では信じられないかもしれませんが、とても仕合せで助け合い心の病を克服していた時代があります。縄文時代の遺跡や様子からも垣間見ることができます。幸福論というのは、それぞれの時代の知恵者が語りますが空気や太陽のように偉大で当たり前すぎてなかなかそれが文化として定着するには至りません。
子孫やずっと先の未来のことを思うと、この病をどう克服するかは今を生きる世代の代々の使命であったはずです。自分の世代が今あるのは、先人たちの苦労と汗と知恵の結晶だからです。
私が暮らしフルネスや徳の循環をするのもまた、今の時代の病を克服するためです。目先の小利や欲望の毒に負けて、経済も悪循環で地球環境の破壊のスピードは増すばかりです。国家間は奪うことばかりで、膨大な富はすべて奪い合うために使われていきます。
一人一人の小さな行動では間に合わないのではないかと焦る声もありますが、実際には時間もかかるし、地道に取り組むのが最も近道なのです。
論語に、「速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 」があります。
また二宮尊徳に「速成を欲するのは、人情の常である。 けれども成功、不成功には時期があり、小さい事柄でも、おいそれとは決まらない」ともあります。
世の中の変化を見つめては焦る気持ちが増えていきます。目指す目的が明確で実行することが大きければ大きいほどに、孤高の苦しみがあります。しかし、現実はやはり脚下の実践からしか変わりません。
最後に、森信三の言葉です。勇氣をもって歩む仲間たちへ共感をもって贈ります。
『一眼は歴史の彼方へ、そしていま一眼は脚下の実践へ』
生き方こそ、もっとも人類へ貢献できる実践です。みんなで今いる世の中を子孫のために改善していきたいと思います。