保存食の知恵

保存食というものがあります。現代では保存の方法も色々と科学的になり、フリーズドライや真空パックなどもあり便利になっています。しかしこの保存食というのは、本来は先人の知恵の結晶であり数々の飢饉や飢餓を乗り越えていくなかで培ってきた生き残るための方法でした。

例えば、長雨や干ばつ、戦争などの人災で食料が不足します。人肉を食べてまでというくらいの時代があったということですから備蓄していなければ乗り越えることはできません。

本来は、飢饉に備えて暮らしを調えていくのですが今のような日本ではどちらかというと毎日大量の食糧を廃棄するような社会ですから食料備蓄などというのはどこふく風でしょう。

しかし実際には、突然、全国民が食べれなくなるようなことが発生したら備蓄のない日本ではあっという間に食糧危機が訪れます。実際に、私も畑で野菜を育てていますがそんなに食べるものは多くありません。山野草をとってといっても旬があり限りがありずっと食べられません。それにアク抜きをはじめ、手間暇がかかり調理も大変です。

今のように何でも簡単に変える時代はいいのですが、買えなくなったらどうするのか。想像もできないかもしれませんが、そうなってからでは間に合いません。

備蓄というのは、その場しのぎですから最終的には食糧自給をみんなで高めるしかありません。そのためには、今の人口が食べていけるような計画を国家も政府も考える必要があります。

かの上杉鷹山は食糧難を乗り越えたことで有名ですが、それを取りまとめていた過労に莅戸善政(1735〜1803 )がこういう言葉を遺しています。

『 豊かなるけふより、万々一の日の心がけいたすべく候。 』

今は豊であると思っても、万一のためにの心がけが大切だという意味です。万一のためにというのは、正しく怖れよということでしょう。

時代が変わっても知恵の価値は変わりません。子孫のためにも、そういう生き方を実践していきたいと思います。